阿含経に学ぶ-7(八正道と私たち) 浪 宏友


  八正道

 阿含経に「八支の聖道」という教えが説かれています。「八正道」とも呼ばれ、八つの項目からなっています。
 もとの経典からの漢訳と、増谷文雄博士の訳を併記いたします。

漢訳増谷文雄博士訳
正見正しい見方
正思または正思惟正しい思い
正語正しい言葉
正業正しい行為
正命正しい生き方
正精進正しい努力
正念正しいことに念いをこらす
正定正しいことに心を専注する

 (増谷文雄編訳『阿含経典2』ちくま学芸文庫、p.161)

 八正道は八つの項目でなっていますが、もともとは「中道」というひとつの道です。「中道」の中身を説明する便宜上、八つに分けて示したものといえます。
 もともとひとつの道ですから、どの道から入っても、深めていけば、すべての道に通じます。

  正見

 正見とは、「正しい見方」です。
 正しい見方とは、ものごとのありのままを見て、ありのままに認識することです。
 また、ものごとにはたらいている法則をありのままに見て、ありのままに認識することです。

   仏教の主要なテーマは、二つあると思います。
 一つは、自分です。正見とは、自分のありのままを見て、ありのままに認識することです。また、自分にはたらく法則をありのままに見て、ありのままに認識することです。
 もう一つのテーマは、自分と他の人との間の人間関係です。そこで正見とは、自分と他の人との間の人間関係のありのままを見て、ありのままに認識することです。また、この人間関係における法則をありのままに見て、ありのままに認識することです。

 私たちには、見た通り、認識した通りに行動するという性質があります。
 ですから、ありのままをありのままに認識することができれば、適切に行動することができます。

 先入観や固定観念をまじえてものごとを見ますと、ありのままを見ることは出来ません。
 片寄った思想を持ってものごとを見ますと、やはり、ありのままを見ることができなくなります。
 自分本位の心や、高ぶった感情で見ても、ものごとのありのままを見ることはできません。
 最近研究されている認知バイアスもまた、ものごとをありのままに見ることを阻害します。
 先入観・固定観念・片寄った思想・自分本位の心・高ぶった感情・認知バイアスなどに打ち勝って、自分のありのまま、人間関係のありのままを見ることができる自分になりたいものだと思います。

 ものごとのありのままを見る方法として、私は、原因・条件・結果・影響の原理で観察することをお勧めしています。澄み切った理性をはたらかせ、原因・条件・結果・影響の原理でものごとを見れば、ありのままに近づくことができると思います。

  正思・正語・正業

 「正思」は「正しい思い」です。
 「正語」は「正しい言葉」です。
 「正業」は「正しい行為」です。
 「正語・正業」は「正思」から生まれます。

 私たちは、日常生活を、「思い・言葉・行為」で営んでいると思います。この三つを正しくすれば、正しい日常生活を送ることができます。
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 ビジネスの世界では、しばしば、コミュニケーションが問題となります。コミュニケーションの良し悪しが、仕事の効率に直接的な影響を及ぼします。また、コミュニケーションの失敗が、深刻なトラブルの原因となることもあります。
 正しいコミュニケーションは「正しい言葉」と「正しい行為」によってなされます。
 「正しい言葉」と「正しい行為」は「正しい思い」から生じます。
 「正しい思い」を持って、「正しい言葉」を使い、「正しい行為」を行なうことによって、「正しいコミュニケーション」が、実現できるのです。
 コミュニケーションに関する問題・課題を解決しようと思う人は、この原理をベースにして、具体的な問題と取り組むべきでありましょう。

  正命

 「正命」とは「正しい生き方」です。
   「正しい生き方」の一つは、「正しい職業によって、正しく得た収入で、正しく生活すること」とされています。これは世間的な経済活動を、正しく行うことにほかなりません。
 企業経営においても、正しい経営によって得た正しい利益を、正しく使うことによって、企業を維持・発展させることができるのです。

 「正しい生き方」の一つは、節度ある生活を営むことです。身心の健康を維持し増進するには、睡眠・食事・仕事・遊び・運動・休息などに節度が求められます。日常を整えることによて、意義ある人生を送ることができるのです。
 経済活動も、節度ある日常に裏打ちされてこそ、豊かなものとなるのです。

    人間関係

 現実生活における大きな要素は、人間関係です。
 家庭には、家族間の人間関係があります。夫婦、親子、兄弟姉妹など、それに親戚も交えて複雑な様相を呈することもあります。
 職場には、仕事上の人間関係があります。社内における上司・同僚・部下などとの人間関係、社外の取引先、協力会社、出入り業者などとの人間関係、あるいは顧客との人間関係などです。
 学校には学校の、クラブ活動にはクラブ活動の人間関係があります。
 人間生活のさまざまな場面で、数知れぬ人間関係があります。この世で生きて行こうと思ったら、人間関係を避けて通るわけにはいきません。

 このように重要な人間関係を正しく整えるのも、「正しい生き方」の一つであろうと思います。

  正精進・正念・正定

 「正思・正語・正業」と「正命」は、目に見える修行道と言えますが、「正精進・正念・正定」は目に見えないものであり、内面的な修行道であると言えます。
 しかし「正思・正語・正業・正命」という修行は、「正精進・正念・正定」という内的な修行に支えられて、続けることができるのであり、充実させることができるのです。両者は表裏一体なのです。

 「正精進」が崩れますと、懈怠(けたい)とか放逸(ほういつ)といった迷いが生じます。
 「正念」が崩れますと、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)などの迷いが生じます。
 「正定」が崩れますと、散乱(さんらん)、掉悔(じょうけ)、こん眠(こんみん)といった迷いが生じます。

    注:言葉の意味
懈怠:するべきことをしないこと、してはいけないことをすること
放逸:正しいことをしないこと、間違っていることをすること
貪欲:肥大した欲望、歪んだ欲望
瞋恚:自分本位のわがままな怒り
散乱:気が散ること
掉悔:気持ちが騒ぐこと
      こん眠:気持ちが沈み込むこと

 このような迷いが生じているようでは、とても「正思」は出来ないでしょうから、「正語・正業・正命」も生じてはこないでしょう。

 「正精進」は、「正しい努力」です。
 何につけても、善なること正しいことを生じさせ、増大させるように努力します。そして、悪なること邪なることを減じるように、滅するように努力します。
 生活においても、仕事においても、人間関係においても、この努力を続けるのです。

 「正念」は、「正しいことに念いをこらす」です。
 正しいことに念いをこらしながら、自分を観察します。自分の心身を観察し、自分の生活・人生を観察して、正しいところはそのまま伸ばし、誤っているところは直すのです。

 「正定」は、「正しいことに心を専注する」です。 師である釈迦牟尼世尊に心を専注し、釈迦牟尼世尊が説いてくださる教えに心を専注し、教えの実践に勤しむ修行者仲間たちに心を専注するのです。

 「正精進・正念・正定」を実践することによって、自分を八正道に徹底させることができます。そのようにして、豊かで意義ある人生を営んでいくことができるのです。