阿含経に学ぶ-9(疫病)        浪 宏友


  疫病の神様

 多くの人びとの間に瞬く間に広がっていく病気を、疫病とか、はやりやまい(流行病)と言って、昔から恐れられてきました。
 まだ、顕微鏡もないような昔は、疫病が細菌やウイルスなどの微生物によって引き起こされていることなど、知る由もありません。魔物の跳梁だ、鬼の仕業だ、死んだ人の祟りだなどと考えたのも、無理はないと思います。
 身近な人びとが次々と倒れたり、亡くなったりしていくのを、恐れおののきながら見ているしかなかった人びとにとって、最後に頼れるものは、神さまだけだったのではないでしょうか。
 毎年七月になりますと、各地で祇園祭が執り行われます。牛頭天王(ごずてんのう)や須佐之男(すさのお)を祀った神社のお祭りです。京都の祇園祭は有名ですが、そればかりではありません。全国各地で催されています。人びとにとって、祇園祭は、なくてはならないお祭りなのです。
 牛頭天王とか須佐之男は、疫病の神さまです。疫病の神さまは、疫病を流行らせることも意のままですし、疫病を終わらせることもできます。そこで、お祭りを催して神さまのご機嫌を取り、疫病を起こさないでもらおうというのが祇園祭なのです。
 このお祭りが、農作業に忙しいはずの七月に行われるのは、一年でもっとも暑い夏場が疫病の季節と考えられたからだろうと思われます。疫病の季節を前に、機先を制して身を守ろうという気持ちの表れとみることができます。
 冬場に行われるお祭りもあります。長野県上田市にある信濃国分寺は八日堂と呼ばれています。毎年一月八日に行われる八日堂縁日は、牛頭天王がらみのお祭りです。この日、八日堂で蘇民将来のお守りを戴いて家に飾れば、牛頭天王がこれを見定めて、この家には疫病をもたらさないことになっています。
 ついでながら、神社に大きな茅の輪が作られ、参拝者が茅の輪くぐりをして無病息災を祈りますが、これも蘇民将来の伝説から生まれた風習です。

  請観音経

 『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』略して『請観音経(しょうかんのんぎょう)』というお経があります。釈迦牟尼世尊が、毘舎利国(びしゃりこく)の精舎におられたときのこととして、次のようなお話が語られています。

 そのとき、毘舎利国の人びとの間に疫病が蔓延しました。目は充血し、耳から膿が漏れ、鼻から血が流れ、声も出せず、食物も食べられず、意識も朦朧としてしまうというのですから、大変な症状です。その上、奇怪な夜叉に憑き纏われて精気を吸われてしまいます。
 当時、インドには耆婆(ぎば)という名医がいました。釈迦牟尼世尊の侍医であったと伝えられています。
 毘舎利国の窮状に耆婆も駆けつけて、ありったけの医術を尽くしたのですが、及びませんでした。
 この病気は天然痘だったのではないかと推測されています。
 毘舎利国は、共和制の国家だったようで、リーダーは月蓋(がっかい)という長者でした。
 疫病に打つ手をなくした月蓋は、毘舎利国の五百人の長者たちと共に、釈迦牟尼世尊を訪ねました。そして、毘舎利国の人びとを疫病から救っていただきたいと懇願しました。
 釈迦牟尼世尊は言いました。
 「西の方に無量寿という仏さまがおられます。観世音菩薩と大勢至菩薩が付き従っています。この仏さま、菩薩さまは、大悲をもって人びとを苦しみから救ってくださいます。
 あなた方は、この仏さま、菩薩さまに香を焚き、花を散じ、心を一つにしてお願いしなさい」
 このお言葉が終わらないうちに、西の方から、無量寿仏と二人の菩薩が現れました。
 毘舎利国は町全体がお城のようになっていて、大きな塀に囲まれ、城門がありました。その城門の敷居のあたりに仏さまと菩薩さまが立ち、毘舎利国に向かって大光明を放ちました。すると、町中のすべてが黄金色に輝きだしました。そのお姿に感動した人びとは、柳の枝に清らかな水を添えて観世音菩薩に捧げました。
 観世音菩薩は人びとに教えました。
 「仏さまと、仏さまの教えと、仏さまの教えを実践する人々に信仰を捧げます。また、大悲によって苦しみから救ってくださる観世音菩薩に信仰を捧げますと一心に念じなさい」
 この教えを受けた人びとは、観世音菩薩に向かって合掌しながら、「どうか苦しみから救ってください。どうか安楽にしてください。どうか迷いのない境地に導き入れてください」と祈ります。
 人びとのまごころ込めた祈りを見て、観世音菩薩は仏さまに、「私はこれから、十方の仏さまのお慈悲がこもった秘密の言葉(陀羅尼)を説きます」と申し上げて、秘密の言葉を説きました。すると、毘舎利国の人びとは、すっかり安らかになり、もとの平穏な生活に戻りました。
 このあと、観世音菩薩が仏さまの要請を受けて、さらに教えを説き、秘密の言葉を唱える経文が続きますが、ここでは省略させていただきます。
 初期の密教経典と言われる『請観音経』は、恐ろしい疫病に対して有効な手立てもなく、ただ祈るほかなかった人々の、切実な願いから生まれたお経だったのではないでしょうか。

 長野市の善光寺に、「善光寺縁起」と呼ばれるいわれが伝えられています。古い時代の日本には、寺社のいわれを作るプロがいたようです。善光寺縁起も、こうしたプロの手になるものではないかと考えられます。
 善光寺縁起は『請観音経』に記されている先ほどの逸話が用いられていますが、かなり脚色されています。
 これに、百済から日本に仏教が伝来したときの話が組み合わされ、さらにいくつもの要素が付け加えられて、想像力豊かに作られています。
 原本や史実とはずいぶん話が違っていますが、それはそれとして、由来を楽しめばいいのだと思います。

    現代の疫病

 科学が進歩し公衆衛生や医療も進んできた現代でも、疫病は絶えません。二〇二〇年の冬から始まった疫病が、新型コロナウイルス感染症です。病原は分かったものの、まったく新しいウイルスだったために、当初は治療法も分からず、いかなる薬品が治療に使えるのかも分かりません。医療の現場は手探り状態が続きました。
 新型コロナウイルスは、感染力が強いばかりでなく、毒性もかなりなものだったようです。免疫力が低下している人が感染すると、急速に病状が悪化するという特徴がみられました。このため、手を尽くす時間もなく、死を迎える例が相次ぎました。
 三月十一日、WHO(世界保健機関)は、ついに、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な感染拡大)を宣言しました。世界中の人々に脅威が迫っているのです。この自分も例外ではないのです。
 疫病を予防する決め手はワクチンであると言われています。ところが、新型コロナウイルスのワクチンはまだありません。ワクチンの開発が急ピッチで進められていますが、完成までにはかなりな期間が必要です。
 こうなりますと、ウイルスに感染しないことが、唯一の予防になります。そのためには、ウイルスに感染している人に接触しないことが求められます。しかし、誰がウイルスに感染しているのか分かりません。
 そこで打ち出されたのが、人との接触を避けることでした。
 政府から、また専門家から、一般の人々に向かって、次のような要請がなされました。
 密閉・密集・密接の三つの密を避けてください。
 外出を自粛してください。
 人込みを歩かないでください。
 人と接するときには、マスクをしてください。
 手洗い・うがいをしっかりしてください。
 など、など。
 政府も都道府県知事も、それこそ口を酸っぱくして、繰り返し人びとに呼びかけました。多くの人びとが、この要請に、可能な限り協力しました。

 しかし、中には要請に背中を向ける人もいました。感染したって構わないとか、何の不安も感じないなどとうそぶきながら、要請を踏みにじる人もいました。新型コロナウイルス感染症の不安を利用して詐欺などの犯罪に手を染める人も出てきました。
 妙法蓮華経の中に、大火に見舞われた古屋敷の中で動物たちや化け物たちが火に追われながらも、争いを止めようとしないありさまが描写されていますが、まさしくそのすがたが現れていました。

    凡夫と聖者

 こうした中で思い出すのは、本誌の前号(令和二年春号)で学んだ、阿含経の「箭(や)によりて」という経文です。この経文では、釈迦牟尼世尊の教えを聞かない凡夫も、教えを聞いて修行する聖者も、同じように苦しみを感じるとあります。この苦しみは、外から襲ってくる苦しみですから、今回の新型コロナウイルス感染症に脅かされるのがそれにあたります。苦しみに襲われるのは同じなのですが、そこから両者に違いが生じます。
 釈迦牟尼世尊の教えを聞かない凡夫は、外からの苦しみを受けますと、怒りを生じます。そして、怒りの行動を起こし、そこに新たな苦しみが生じます。こうして生じた新たな苦しみに対してまた怒りを生じ、さらなる苦しみを生じます。こうして、苦しみをどんどん大きくしてしまうのです。
 新型コロナウイルス感染防止の呼びかけに背を向ける人々は、凡夫のように苦しみを重ねていく人びとでありましょう。
 釈迦牟尼世尊の教えを聞いて修行する聖者は、外からの苦しみを受けても怒りを生じません。ですから新たな苦しみも生じません。怒りを生じない聖者には智慧が生じ、外からの苦しみに対して適切な対応をすることができます。
 呼びかけに応じて協力する人びとは、聖者の方向に一歩を踏み出しているにちがいありません。日本の多くの人びとがこのすがたであることに、私は、感動を覚えています。