阿含経に学ぶ-15(あるサラリーマンの悩み) 浪 宏友


善因楽果・悪因苦果

 「善因楽果・悪因苦果」という法則があります。善因を作れば楽果が生じ、悪因を作れば苦果が生じるという法則です。
 「善因」を作るとは「するべきことをする」ことであり、「してはならないことをしない」ことです。
 仕事の上で、してはならないことをせず、するべきことをしていれば、安らかな気持ちで仕事ができます。仕事の質も良くなりますし効率もあがります。この人は仕事のできる人として評判が良くなるでしょう。これが「善因楽果」です。
 「悪因」を作るとは「するべきことをしない」ことであり、「してはならないことをする」ことです。
 仕事の上で、頻繁にするべきことをしないで、してはならないことをしていると、まともな仕事ができなくなるでしょう。仕事の質も落ちますし、効率もさがります。この人は、仕事のできない人と言われるでしょう。これが「悪因苦果」です。

上司の態度

 あるサラリーマンが、悩んでいます。最近、上司が、自分に対してよそよそしいのです。彼は不安を覚えています。
 この悩みについて、善因楽果・悪因苦果を意識しながら、阿含経に説かれる「四つの聖諦」で考えてみたいと思います。

 第一は苦の聖諦です。「これが苦である」と「苦果」を、明らかにするのです。
 「最近、上司が自分に対してよそよそしい」が、今回の「苦」すなわち「苦果」です。

 第二は苦の生起の聖諦です。「これが苦を生じた原因である」と明らかにするのです。「苦を生じた原因」が「悪因」です。
 最近、上司が、サラリーマン君に対してよそよそしくなったのは、サラリーマン君が何か悪因を作ったからであると考えられるのです。
 サラリーマン君は、かなり以前から、報告書を期限内に出していませんでした。ときには遅れっぱなしで、とうとう出さなかったこともありました。報告すべきことを報告しないので、上司が彼に対してよそよそしくなったのです。
 サラリーマン君が、「するべきことをしない」という「悪因」を作ったために、「苦果」が生じているわけです。

 このとき、「この悪因が、この苦果を作った」と、間違いなく確かめることが必要です。
 しばしば「悪因」を取り違えて、無駄な騒ぎを起こしたりします。
 今回の場合も、「この間、上司に飲みに誘われたのをデートがあったので断っちゃった。あれが原因だ」などと誤解したら、的外れになってしまいます。
 多くの人が、苦果に対する悪因を取り違えて迷路に入り込み、無駄な藻掻きを繰り返しています。
   第三は苦の滅尽の聖諦です。「苦を生じた原因を滅すれば苦は滅する」ことを明らかにするのです。これは「悪因をなくせば、苦果がなくなる」ということです。
 今回の苦を生じた原因は「報告すべきことを報告していない」ですから、「報告すべきことを報告すれば、上司は、そよそしくなくなる」と推測できます。

 第四は苦の滅尽に到る道の聖諦です。
 「苦を生じた原因を滅するために行なうべきこと」を明らかにするのです。「悪因」をなくすための正しい方法を見つけるのです。
 今回の場合、「苦を生じた原因」は「上司に報告すべきことを、期限内に報告していない」です。
 「苦を生じた原因を滅する」は「上司に報告すべきことを、期限内に報告する」ことになります。
 では、実際に、期限内に報告書を出すためには、どうしたらいいか、その方法を見つけるのです。
 それは、結局、サラリーマン君が、期限内に報告書を作って上司に提出するように、努力するほかありません。
 意を決して、意識をしっかり持って、歯を食いしばってでも報告書を作って提出するのです。
 それも、一回報告しただけで、上司がよそよそしくなくなると考えるのは甘すぎます。これまで、長い間報告してこなかったのですから、半月、一か月、場合によってはそれ以上の期間頑張って、ようやく、これは本物だぞと上司に思ってもらえるのです。

さらなる問題

 しかし、ことはそう簡単ではありません。サラリーマン君にしてみれば、「報告しろと催促される前に、自分から報告すればいい」ということなど、とっくに分かっているのです。そうしようと思ったことが何度もあるのです。けれどもできないのです。これを繰り返してきたために、自分には無理だ、できないと、サラリーマン君はあきらめかけているのです。
 ここで、もう一度「四つの聖諦」で取り組んでみようと思います。

 第一は苦の聖諦です。「これが苦である」と明らかにします。
 「報告しろと催促される前に、自分の意思で報告すればいいと分かっているのに、報告しない自分」がここにいるのです。これがサラリーマン君に起きている「苦」なのです。「苦果」なのです。  さきほどは、上司が自分によそよそしくすることに「苦」を覚えましたが、今度は、自分の情けない行為が「苦」となります。

 第二は苦の生起の聖諦です。「これが苦を生じた原因である」と明らかにします。「苦果」を生じる「悪因」を見つけるのです。
 報告しろと催促される前に、自分の意思で報告すればいいと分かっているのに報告しないのには、どういう「悪因」があるからでしょうか。
 このような場合、通常、二つのことを考えます。
 ひとつは、「報告する能力がないので報告できない」ということです。
 もうひとつは、「報告する能力はあるのに報告しない」ということです。
 サラリーマン君の場合は、報告する能力はあるし、報告しなければいけないと思っている。それでも報告しないというのですから重症です
 このような場合は、本人のより深いところに原因が潜んでいます。これにもいろいろあるのですが、ひとつ考えられるが、怠け癖です。

 「怠ける」というのは、「するべきことをしない」ということです。しばしば、「するべきことをしないで、してはならないことをしている怠け者」がいます。
 人間には、「したことはしやすくなる」という性質があります。一度怠けると、その分怠けやすくなります。二度怠け、三度怠け、さらに怠けるうちに怠け癖がつきます。「怠けるという悪因を作りやすい体質」になってしまうのです。
 今回の場合は、サラリーマン君が「怠けるという悪因を作りやすい体質=怠け癖」になってしまっていることが、出すべき報告書を出さない原因になっていると考えられます。

 第三は苦の滅尽の聖諦です。「苦を生じた原因を滅すれば苦は滅する」ことを明らかにします。
 「報告書を書こう」と思うと、自分の奥の方に潜んでいる怠け癖が動き出して邪魔するわけです。この怠け癖が無くなってしまえば、スムーズに報告できるはずです。
 そこで、サラリーマン君は、「自分の身に沁みついている怠け癖−−−怠けるという悪因を作りやすい体質−−−を失くそう」と心に決めることになります。

 第四は苦の滅尽に到る道の聖諦です。「苦を生じた原因を滅するために行なうべきこと」を明らかにします。
 サラリーマン君の場合、報告書を出さない原因は「自分に沁みついた怠け癖」です。これを取り除けばいいわけで、そのための方法をさがすのです。「するべきことをしない体質」から「するべきことをする体質」に変わるための方法をさがすのです。
 先ほど申し上げましたように、人間には、したことはしやすくなる」という性質があります。そこで「するべきことをしない」の反対の「するべきことをする」を、繰り返し行なうという方法が出てきます。そして、多分、これしかありません。
 サラリーマン君が、するべきことをしようとすると、自分の奥の方から怠け癖が出てきて邪魔をします。この邪魔に打ち勝って、するべきことをするのです。これを一か月、三か月、半年、ときにはそれ以上繰り返していけば、やがて「するべきことをする」という体質になるのです。

幸せへの道

 「悪因」を作る行為をやめて「善因」を作る行為をすろとが「悪因」を滅する行為です。「するべきことをしない体質」を改善するために「するべきことをする」という修行をするのです。
 「するべきことをする」のは「善因」を作る行為です。「善因」つくる行為は「楽果」を生み出す行為です。
 なんと「苦果」をなくす修行が、そのまま「楽果」を生み出す行為になっているのです。
 四つの聖諦では、「苦果」を滅する修行が、そのまま「楽果」を得る実践になっていることに、気付くべきでありましょう。