阿含経に学ぶ-17(セルフ・デベロップメント) 浪 宏友


  人材育成

 企業では、人材育成が重要な課題です。人材育成の手法は「業務遂行中に行なわれる教育(OJT=オン・ザ・ジョブ・トレーニング)」が柱となりますが、これを補完する「業務を離れて行なわれる教育(Off−JT=オフ・ザ・ジョブ・トレーニング)」も行なわれます。自分で自分を教育する「自己啓発」もあります。
 企業によっては「自己啓発」を制度化しています。夜間や休日などに講座を受けるというような、自分を教育する計画を立てて会社に申請し、認められればその費用の一部を会社が負担してくれるというようなものです。
 いずれの教育も実施しないまま、うちの社員は屑ばかりだなどと、自分の無責任を棚に上げて愚痴っている、中小企業や零細企業の経営者に出合ったことがあります。

  セルフ・デベロップメント

 「セルフ・デベロップメント」という言葉があります。デベロップメントとは、開発し発展させることです。セルフ・デベロップメントとは、自分を開発し発展させることです。翻訳すれば自己啓発になります。
 書物を読んだり、講演会に出かけたり、講習会に参加したりして、セルフ・デベロップメントに取り組む経営者に出合ったことがあります。
 私も、経営コンサルタントとして、経営者やビジネスパーソンの研修会の講師として招かれることがあります。

  業務上のスキルと人間性

 業務上のスキルは、大きく二つに分けて考えることができます。
 いかなる仕事に就いても必要となるのが「ソフトスキル」です。挨拶のスキル、会話のスキル、論理のスキル、事務文書を作るスキルなどです。
 その仕事に特有の「ハードスキル」があります。販売員になれば、販売のスキルを身につけなければなりますまい。工場に入ったら、機械を操作するスキルが必要となります。
 松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)を創業し、世界的な実業家となった松下幸之助さんの有名な言葉があります。
 「得意先から『松下電器は何をつくるところか』と尋ねられたならば、『松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております』と、こういうことを申せと言ったことがあります」
 「人をつくる」とは、社員の人間性を開発し発展させることであり、高い人間性を養うことであると思います。松下幸之助さんは、ハードスキルもソフトスキルも、人間性という基盤に支えられてこそ価値を発揮することを、見ていたに違いありません。
 セルフ・デベロップメントすべきは、まさしく人間性にほかならないのです。
 人間性の高い人は、よりよき人間関係を育みます。
 また、質の高いはたらき、生産性の高いはたらきをします。

  四つの聖諦

 『阿含経典』(増谷文雄編訳、ちくま学芸文庫)を学ばせていただきますと、そこには、人間性のセルフ・デベロップメントのための教えに溢れています。他人に依拠することなく、自分で教えを学び、自分で自分の人間性を開発し、発展させることが懇切に説かれているのです。
 「四つの聖諦」は、「苦を明らかにする」「苦の原因を明らかにする」「苦の原因を滅すれば苦が滅することを明らかにする」「苦の原因を滅する道を明らかにする」という教えです。現代のビジネス用語で言えば、フレームワークです。
 「苦を明らかにする」とは、自分が現在苦しんでいる「苦」を明らかにするのです。
 「苦の原因を明らかにする」とあります。苦の原因はさまざまありますが、自分が苦しんでいるときには、少なくとも原因の一つは自分にあります。その“自分にある苦の原因”を明らかにするのです。
 「苦の原因を滅すれば苦が滅することを明らかにする」とは、自分にある苦の原因を滅すれば、自分の苦は滅することを明らかにするのです。
 「苦の原因を滅する道を明らかにする」とあります。自分にある苦の原因を滅するために自分はどのような努力をすればいいのかを明らかにするのです。
 こうして明らかになった、「自分にある苦の原因を滅するために自分が努力すべきこと」を、実際に行なえば、自分にある苦の原因が滅して自分の苦が滅するのです。
 自分の苦が滅するとは、同じ苦は二度と起きないということです。自分にある原因を根こそぎにしてしまうのですから、この後、同じ苦が生じるはずがありません。これを苦の根本的解決と言います。

  セルフ・デベロップメントの教え

 四つの聖諦のテーマは、自分です。自分の苦を見つめ、自分にある苦の原因を発見し、自分にある苦の原因を滅するために自分が努力する。それが、四つの聖諦です。
 四つの聖諦は、苦の原因は渇愛であると言っています。渇愛とは激しい執着です。とりわけ、自分の利益に対する執着です。自分に都合のいいことばかり求めるのです。
 激しい執着がありますと、心も言葉も行動も、執着の対象を手に入れようとはたらきます。執着の対象が手に入りますと、今度は手放すまいと頑張ります。自分の行為・行動は、すべて執着によって方向づけられます。このため人間として為すべきことを為さず、為してはならないことを為すようになります。人間性が低下するのです。
 お釈迦さまの教えを学んだ人は、四つの聖諦が示す努力をして、激しい執着を滅します。執着が無くなれば、心も言葉も行動も落ち着いて、為すべきことを為し、為してはならないことは為さないようになります。人間性が向上するのです。これはまさしくセルフ・デベロップメントです。
 四つの聖諦は、自分にある苦の原因を滅するという努力の中に、セルフ・デベロップメントを包み込んでいることがわかります。苦を無くす努力をするうちに、人間性が高まるという教えなのです。
 阿含経が説くこの他の教えも、すべて、セルフ・デベロップメントのための教えであると言っていいと思います。自分の努力で自分を高め、苦を根本的に滅して、真の幸福を得る道が、ここに説かれているのです。