仏教の原点は現実直視          北 貢一


  ◇「大元の祖は釈尊」

 宗教は本来、人間に幸福をもたらすためのものです。
 ところが昨今は、宗教対立によって人々は激しい争いを起こしています。幸福をもたらすどころか、かえって、人間を不幸にしているという側面もあります。そのような宗教が本当に宗教といえるのか、正しい宗教といえるのだろうか、という大きな疑問が私にはございます。しからば、本当の宗教、正しい宗教、それはどのような宗教なのでしょうか。
 そんな中、二十一世紀は「仏教の世紀」だといわれております。では、仏教はどのような教えなのでしょうか。一緒に学んでまいりましょう。
 現在日本の仏教は、実はもともとの仏教ではなく「宗祖仏教」あるいは「祖師仏教」といわれます。つまり仏教を学ばれた人が、さらに宗派を新たに開いたものです。
 本来、仏教の原点は一つでなくてはいけないのですが、日本の仏教は宗祖の数だけ原点がございます。奈良時代は「三論宗」「成実宗」「倶舎宗」「法相宗」「華厳宗」「律宗」等の六宗が生れました。平安時代は空海(弘法大師)が宗祖の「真言宗」、最澄(伝教大師)が宗祖の「天台宗」が生まれ、鎌倉時代は法然上人を宗祖とする「浄土宗」、その法然上人のお弟子さんである親鸞上人を宗祖とする「浄土真宗」、一遍上人の開かれた「時宗」が生まれました。
 さらに禅宗で、栄西禅師を開祖とする「臨済宗」、それから道元禅師を開祖とする「曹洞宗」。それから日蓮上人を開祖とする「法華宗」ないしは「日蓮宗」。
 江戸時代に入ると、隠元を宗祖とする「黄檗宗」が生まれましたが、これは臨済宗の属宗というような形で扱われており、しかも「鎌倉新仏教」と、いまだに仏教学者はいっており、黄檗宗は別格にされます。ですから鎌倉以降は新しい宗派は生まれておりません。
 このように、日本仏教はあくまでも宗祖仏教ですが、仏教の「元祖」、一番の大元の祖は一体どこのどなたかとなりますと、インドのお釈迦様ということになります。正式には釈迦牟尼世尊と呼んでおりますが、間を省略して〈釈尊〉と仏教とは申し上げております。また称号で仏陀とも呼ばれておられます。
 仏教の祖はお釈迦様〈釈尊〉であり、原点はそのお釈迦様がお説き残しくださった教えであるはず。仏教の原点、それは一体何なのかといいますと「縁起なる法」です。この「縁起なる法」は、あくまでも現実直視の結果、得られたものとされています。天にましますところに原点を求めるのではなくて、いま、現に私たちが生きている、生活している現実の場にあるということです。
 お釈迦様が悟りを開いたのは、もともとはガヤーという町の郊外なんですが、仏陀となられたので、ブッダ・ガヤーと呼ばれるようになりました。ここで何を悟ったかというと、前述の「縁起なる法」を悟られたわけです。これは、知ると知らざるとにかかわらず、好むと好まざるとにかかわらず、みんな時間と空間、「縁起なる法」の中で生きている。だったら、その「縁起なる法」をしっかりとわきまえて生活していくことが大事だ、ということで、以下教えが展開していきます。これが仏教の原点であり、その原点を悟ったお釈迦様こそ仏教の祖であります。お釈迦様の教えこそ仏教の原点なのです。
 さて、そういうお釈迦様が「縁起なる法」を初めてこの世で説かれたのは、先ほどいいましたようにガヤーの町から西南西二百数十qのところです。そこへなぜ出向いていったかといいますと、お釈迦様はかつて修行時代に五人の仲間、つまり六人で厳しい修行をしていましたが、その場所であり、五人の仲間に会いに行ったからです。お釈迦様は最初に修行していたこの五人を五比丘と呼んでおります。
 自分の悟った法を理解するのは普通の人にはなかなか難しい。修行中の師匠であったアーラーラ・カーラーマという仙人だったらわかるんじゃないかということで、アーラーラ・カーラーマを訪ねました。すると、すでに亡くなっておられました。お釈迦様がその次に師と仰いで信用した人はウッダカ・ラーマプッタという人です。この人もすでにこの世の人ではありませんでした。それではということで選ばれたのが、修行時代の仲間の五人だったわけです。

  ◇「まず、現実ありき」

   お釈迦様の悟りは、現実ありきから始まっていますから、それまでとはまるで違う考えでした。現代の仏教学者が共通して述べますのは、五人の比丘たちが悟りを理解するまでに四十九日ぐらい、一カ月半から二カ月近くかかったらしいのです。
 この時に、〓陳如(きょうじんにょ)というお弟子さんが「アーニャー」(そうだったのか。わかった)と叫んだとのエピソードがあります。古い経典には、〓陳如は右のことから、阿若〓陳如(あにゃきょうじんにょ)と呼ばれたという記述もあります。この悟りまでの経緯を経典は「ここに六人の阿羅漢が揃えり」と表現しました。
 「阿羅漢」というのはインドの古語で「アルハット」と申しまして、漢訳されて阿羅漢とされました。「阿」を省略して「羅漢」と、こう表現されることもございます。これはお釈迦様が説いたのは五人ですけれど、お釈迦様は、悟る前は説く立場、聞く立場があるでしょうけれども、悟ってしまえばみんな一緒と、おっしゃたので「ここに六人の阿羅漢揃えり」となりました。

  ◇「三 宝」

    仏教では、三宝(帰依し、大切にするものの総称)があります。お釈迦様が帰依の対象となさったのは悟った「法」でした。
 その後、五人の仲間が増えて六人となった時に僧伽、いわゆる宗教の仲間、集合体ができました。ですからこの六人の阿羅漢が揃った段階で帰依の対象は一つ増えました。お釈迦様にとって「法」が帰依の対象でしたが、仲間が自分以外に五人、自分を入れて六人できた時にこの仲間も帰依の対象であるということで、「法」と「僧」とが帰依の対象となりました。
 しかし、弟子の立場はそうはいきません。お釈迦様は平等とおっしゃるけれども、お師匠さんはお師匠さんだ、ということで次第にお釈迦様を仏陀釈尊、仏陀世尊として仰ぐようになったようです。そこで「仏」にも帰依することを決めました。この三つを三宝といいます。仏教はこれが宝でございます。
 宝物はお金でもなければ、宝石の類でもなく、あくまでも「仏・法・僧」の三宝であり、その三宝の中心はなんといっても「法」であると。「法」こそ三宝を三宝たらしめている原点である、ということです。