「祇園精舎」での「教え」               北 貢一


 『平家物語』の冒頭に有名な一文がございます。
 「祇園精舎〈ぎおんしょうじゃ〉の鐘の声、諸行無常〈しょぎょうむじょう〉の響きあり。沙羅双樹〈さらそうじゅ〉の花の色、盛者必衰〈じょうしゃひっすい〉の理〈ことわり〉をあらはす……」
 今回はこの「祇園精舎」について、お話をさせていただきます。
 お釈迦さまがご在世当時、インドはいくつかの国に分かれておりました。その中の一つにコーサラという強大な国があり、その首都はサーヴァッティ(漢訳すると、舎衛城〈しゃえいじょう〉)でした。サーヴァッティは、ヒマラヤ山脈とガンジス川とのちょうど中間に位置する商業都市で、インドの南北を結ぶ交通の要衝として栄えておりました。現在の地名は、サヘート・マヘートといいます。サヘートとマヘートはもともと地続きの小さな二つの村でした。
 「祇園精舎」があった場所がサヘートで、サーヴァッティがあった場所がマヘートとなっております。

  ◇「祇園精舎」の由来

 このサーヴァッティの郊外に「祇園精舎」という仏教徒が修行する場があったそうです。現在はまったくの廃墟です。法顕〈ほっけん〉という中国の仏教学者がインド旅行をした四〇四年頃には、すでに荒廃していたそうです。精舎の広さがどのくらいだったかというと、東西約二q、南北約一qということです。
 「祇園精舎」は、経典『阿弥陀経〈あみだきょう〉』では「祇樹給孤独園〈ぎじゅぎっこどくおん〉」という名で出てまいります。
 ここでいう「給孤独〈ぎっこどく〉」は「身寄りのない人に食を給する」という一種の尊称で、本名を「須達〈すだった〉」という名の長者のことをいいます。
 「祇」というのは「祇多〈じぇーた〉」という人の名前を指します。ジェータがどういう人だったかというと、コーサラ国王・パセーナディの息子です。このジェータが所有していた林園は「祇樹園〈ぎじゅおん〉」といわれておりました。
 この「祇樹園」をスダッタが、「仏教教団に布施するのにふさわしいところだ」と欲したのです。
そこでスダッタはジェータに「私に『祇樹園』を譲ってくれないか?」と交渉するのです。ところがジェータには譲る気がない。そして、「もし、あなたがこの林園を金で埋めたら譲ろう」といったそうです。
 そうしましたら、スダッタは金を持ってきて埋め始めたのです。これを見てジェータは、「一体なぜ、スダッタは金を敷き詰めてまで、この林園を欲するのか? 布施される仏教教団とはどんなものなのか?」という思いを抱き、教団の存在に興味を持ち、だんだん仏教の魅力に引かれていきます。
 そして、ジェータはスダッタに何か意地悪したようなすまない気持ちが起きてきて、「もういい。
あなたが金を敷き詰めたところはあなたが教団に布施すればいい。金を敷き詰めていないところは私が布施する」といったそうです。つまり「祇樹給孤独園」は、この二人が仏教教団に寄付した場所なのです。

  ◇キサー・ゴータミーのお話

 この「祇園精舎」でお釈迦さまが説かれた教えは、経典『金剛般若経〈こんごうはんにゃきょう〉』や、経典『阿弥陀経』等の初期の大乗経典となりました。その経典の中には悩み苦しむ人を救うお話=「教化〈きょうけ〉」がございますのでご紹介いたします。
 キサー・ゴータミーという女性の話です。「ゴータミー」は、「ゴータマ姓の女性」という意味です。「キサー」はあだなのようなもので、「やせ細った」という意味です。ゴータミーの家は貧しく、食べるものもろくろくなかったので、ガリガリにやせていたそうなのです。
 そういうゴータミーにも結婚する相手がおりまして、二人の間には子ができました。しかし、最初の子は生まれた直後に、栄養失調で亡くなりました。ゴータミーは大変悲しみました。ほどなくしてゴータミーは、二人目を身ごもりました。ところが、その二人目も亡くなってしまうのです。ゴータミーはその亡くなった子を抱えて、「この子を生き返らせてください!」と叫びながら、気が狂ったかのように街中を歩き回ります。しかし、誰も気がふれたような女には近づきません。
 その時、ゴータミーはたまたま近くにお釈迦様がいらっしゃるのを耳にして、お釈迦様だったらこの子を生き返らせることができるだろうと思い、死んだわが子を抱えてお釈迦様のもとに向かいます。
 そしてゴータミーは「どうか、この子を生き返らせてください!」といいます。その願いに対して、お釈迦様は「そうか、ではその子を生き返らせてあげよう。しかし、そのためには条件がある」といいます。
 その条件がどういうものかというと、ゴータミーが一軒一軒の家を訪ねて、いままでに誰も死んだことのない家から一粒の芥子〈けし〉の実をもらってくるというものでした。

  ◇仏教の願い

    ゴータミーは、家々に芥子の実をもらいに行きます。ところが、どの家にも芥子の実はあるのですが、お釈迦様の出された「誰も死んだことのない家」という条件が満たせない。
 訪れる家々の者は、「芥子の実をあなたにあげたいが、家に死んだ者はいる。おじいちゃんもおばあちゃんも死んだ、幼くして死んだ子もいる。だからあげられません」というのです。
 次の家に行っても同じようなことをいわれる。何軒か行くうちにゴータミーは、「ああ、大切な人を亡くしたのは自分だけじゃないんだ……人間は生まれたらいつかは死ぬんだ」ということを悟ります。そして、お釈迦様のもとに行き、「お釈迦様、わかりました。私を弟子にしてください」といい、亡くなった子の亡骸を埋めて、夫とも別れ、清らかな心になって、尼僧としての修行に励んだそうです。
 このお話はまさに「諸行無常」でございます。人間は生まれたからには早い遅いの違いはあっても、いずれ必ず死ぬんだということを示しているのです。
 こればかりは年の順序はないのですが、人は死にます。仏教では、死を自覚してから本当の人生が始まるのだと説きます。死という現実を受け止めた上で、生をいかに充実したものにしていくか、どのような最期を迎えるかが大事なのだとしております。
 死に際し、「長くお世話になりました」と周りの人に感謝して息を引き取れるようであってほしいというのが、仏教の願いであります。「祇園精舎」でお釈迦様がなされたとされるお話はたくさんありますが、今回はその一部をご紹介申し上げました。
〔北貢一著『七歩あるいて読む仏教』(リベラルタイム出版社)から著者の許可を得て転載〕