「塵を払い垢を除かん」                         北 貢一


  虚空会

 前回の「仏の智慧」で、『妙法蓮華経〈みょうほうれんげきょう〉』(二十八品〈ほん〉)はお釈迦様が二カ所で三回行ったお説法をまとめられたお経典であると申し上げました。繰り返しになりますが、いま一度同じ話をいたします。
 お釈迦様がお説法をされた場所は「会座〈えざ〉」と申します。第一回目の「会座」は「霊山会〈りょうぜんえ〉」で行われたとされております。「霊山」は「現実の場」を意味します。「霊山会」は、「仏の智慧」に基づいて「現実」を直視せよと説いています。
 第二回目の「会座」は「虚空会〈こくうえ〉」と申します。「虚空」というのは、「大空〈おおぞら〉」とでもいうのでしょうか、何ものにも邪魔されない世界で、「理想」を表します。「世の中がどうあったらいいのか?」ということを追求しています。
 「虚空会」は第十一品(見宝塔品〈けんぽうとうほん〉)より始まりますが、「宝塔」は、「人間一人一人が宝玉のようだ」という意味を持ちます。
 この宝塔の大きさは「高さ五百由旬〈ゆじゅん〉、幅二百五十由旬」と表現されています。一由旬がどのくらいなのかといいますと、ある学者は七qと計算しております。そうすると五百由旬ですから、三五〇〇qになります。幅はその半分で一七五〇qです。
 体の横幅を気にされてダイエットされる方がいらっしゃいますが、仏教からすると幅一七五〇qですから、太っていることなどささいなことだといえます。しかもただ大きいだけではなくて、宝玉にちりばめられた大きさだということなのです。

 『妙法蓮華経』の精神

 この第十一品(見宝塔品)を基盤とした「虚空会」で仏様が何を説きたかったかということが、第十六品(如来寿量品〈にょらいじゅりょうほん〉)に示されております。
 お釈迦様は第十六品で「私がこの世に生を受け、悟りを開いたことで、仏になったと思われているが、ずっと昔から仏であったのだ」と宣言しています。この宣言により、ご自分の悟られた「法」が永遠に不滅なものだということを表現されたのです。『妙法蓮華経』の教えは、「法」が主体です。ところがいくら「法」が主体だといっても、私たちはどうしても何か崇高な対象が欲しくなる。
 対象がないのとあるのとでは随分違います。それがために釈迦という人をこの世に派遣しているのだということです。こういうと誤解を招きやすいのですが、このことが理解できたら、仏像も観音像もいらないのです。世間には、仏様、観音様のような人がいますから、その一人一人を仏様、観音様と思えばいいのです。
 赤ちゃんを抱いて悲しそうな顔をした「悲母観音〈ひぼかんのん〉」という観音様があります。その傍に行くと、なにか救われていくような気がします。「そういう存在に私もなれたらな……」という思いを実現するのが『妙法蓮華経』というお経典なのです。
 仏様、観音様にすがって幸せになりたいというのは、『妙法蓮華経』の精神ではないのです。さらに、頭がいいとか悪いとか、物覚えがいいとか悪いとかということも関係ないのです。

  茗荷

 お釈迦様の弟子に自分の名さえ覚えられない周利槃特〈しゅりはんどく〉という者がいました。
 この周利槃特は、お釈迦様がいくら覚えやすいことを教えても、なかなか覚えられなかったそうです。それに対し、周利槃特の兄は一を聞いて十を知る秀才だったそうです。その兄は、弟があまりにも愚鈍なために、「お前がいると、お師匠様にも仲間にも迷惑がかかるから、修業に見切りをつけて精舎〈しょうじゃ〉を去れ」といいました。兄にそういわれた周利槃特に反論の余地はなく、精舎の外へ出て、悲しそうに考え込んでいたそうです。
 そこへ、お釈迦様が通りかかり、「お前、どうしたんだ?」と問いました。周利槃特は兄にいわれたことを話しました。
 するとお釈迦様は、「周利槃特よ、世の中には自分が愚かなのに、それに気づかず、賢いと思っている愚か者がどれだけ多くいるかわかりませんよ。その中にあって、あなたは自分が愚かだということを知っているではないか。このこと一つでも、愚かなのに賢ぶっている人に比べて、はるかに賢い。だから、精舎を去ることはありません」といったそうです。
 そして、これなら覚えられるだろうと、「塵〈ちり〉を払い、垢〈あくた〉を除かん」とこれだけを教え、一本の箒と一枚の雑巾を与えました。
 物覚えの悪い周利槃特は、お釈迦様の教えを覚えるため、その箒を使う時には「塵を払い」といい、雑巾でもって縁側を拭いたりする時には「垢を除かん」と繰り返しいったそうです。そして、どれくらいの月日がかかったかはわかりませんが、やっと、この句を覚えることができたそうです。
 ある時期、釈尊教団は「比丘〈びく=男性の出家修行者〉」と「比丘尼〈びくに=女性の出家修行者〉」に分かれて修業していました。そして、お釈迦様は月に一度、「これは」と思われる弟子を「比丘尼」が修業しているところに遣わして、自分に代わって「法」を説かせていました。ある時、その指名を周利槃特が受けたのです。
 その知らせを聞いた「比丘尼」たちの方は穏やかではない。「今度来るのは、あの周利槃特だ」と馬鹿にしている。そういう「比丘尼」たちを前に、周利槃特は自分をさらけ出し、「こんな私でもお釈迦様は傍に置いてくださる。そして、やっと私は『塵を払い、垢を除かん』を覚えました。この教えは、精舎の塵を払い、垢を除くことではなく、自分の心の中の塵と垢を除くことなのだ」と切々と訴えたそうです。それを聞いた「比丘尼」たちは、周利槃特に対して、心の底から詫びる気持ちになったそうです。
 二〇〇四年六月七日付の「毎日新聞」の記事に、この周利槃特が、食べると物忘れするという俗説を持つ「茗荷」の由来であると紹介していました。記事によると、物覚えの悪い周利槃特は、いつも自分の名を記した札を背負って歩いていたそうです。そして名を問われれば、その札を差し出した。死後、彼の墓所に見知らぬ草が生えたところ、周利槃特が名を荷〈に〉なっていたことにちなみ、「茗荷〈みょうが〉」と名づけられたそうです。
 だから「茗荷」を食べると物忘れするのではなく、賢くならなければおかしいわけです。
 周利槃特の話からも、仏教は頭がいいからということで人間を評価しないことがわかります。人間の価値は、どこまで心が清く澄んでいるかです。しかし、清らか過ぎてもいけないので、清濁あわせのむ心が重要だということです。

〔北貢一著『七歩あるいて読む仏教』(リベラルタイム出版社)から著者の許可を得て転載〕