「雨ニモマケズ」の真意                     北 貢一


 皆さんは宮沢賢治というお名前を耳にされたことがあるかと思います。詩人という肩書のほか、童話作家、科学者、農業指導者、教育者、そして熱心な仏教(とりわけ法華経)信奉者でございました。「法華経を知らずして、宮沢賢治を語るなかれ」といわれるほど深い関係があります。
 日本人の精神の研究で著名な梅原猛先生の著書『地獄の思想』(中央公論新社刊)には、宮沢賢治についてこう言及しています。
「賢治は、おのれを殺す利他の行によってのみ、仏の世界へ行けると考えていたようである」
「彼は死ぬまで法華経を心の寄る辺としていた」
「人が死ぬのは方便であり、実は死の瞬間に新たな生へと昇華する生命の永遠を説く。如来寿量品(にょらいじゅりょうほん、仏の寿命は無限と説く経典)を加味して読むと、賢治の世界観の一端がほのかに浮かび上がってくるように思う」
 では賢治さんの作品に影響を与えた、仏教の精神を探ってみましょう。

  宮沢賢治の人物像

 まずは賢治さんの略歴を抜粋しました。
 一九一四(大正三)年、十八歳の時、島地大等編『和漢対照・妙法蓮華経』を読み感銘。盛岡高等農林学校農学科第二部に首席入学(現・岩手大学農学部)。
 一九一七年、この頃家業(質屋を営んでいたため、冷害等の凶作で困窮する農民が家財道具を売りにきたのを見て育つ)と信仰(宮沢家は浄土真宗、賢治が感銘を受けたのは法華宗)等で、父と対立。
 一九二〇年、高農研究生修了。日蓮上人の龍口法難六百五十年記念の日、夜にうちわ太鼓を打ち、題目を唱えながら、花巻の町を歩き回る。法華宗改宗をめぐり、父との確執が続く。
 一九三一(昭和六)年、東北砕石工場の技師となり販売のため上京、その翌日発熱。神田の旅館で死を覚(さと)り遺書を書き、旅館から父に電話。花巻に帰る。十一月三日、病床で代表作「雨ニモマケズ」を書き上げる。
 一九三三年、九月二十一日容態が急変。家族が見守る中、『国訳法華経』一千部の印刷・配布を依頼する。同日午後一時三十分永眠。三十七歳。二十三日、真宗大谷派・安浄寺で葬儀。後に日蓮宗・身照寺に改葬。

  無畏施の教え

 今回はとりわけ賢治さんの思想が色濃く出ている詩編「雨ニモマケズ」を挙げさせていただきます。「雨ニモマケズ」は手帳十ページにわたって書き綴られたものです。残された原文を“そのまま”書き起こしましたのでご覧ください。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱(カヤ)ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
イッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 現在、世に出回っている書物や紹介文は二十六行目で終わっています。実は、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」が書かれてある最後のページが省かれているのです。
 賢治さんはがっかりなさっていると思います。熱心な仏教徒として生きておられた賢治さんの精神を考えながら、「雨ニモマケズ」を読んでみましょう。まずは詩の中でも特徴的な二カ所を挙げます。
 一つは十九行目の「コハガラナクテモイイ」という部分。賢治さんの“死に対する恐怖”への癒しという仏教的な教えが伝わってきます。仏教(特に法華経の経典)では、怖がることを“畏(い)”といい、怖がらなくてもいいということを他人に教え施すことを“無畏施(むいせ)”といいます。
 法華経経典『妙法蓮華経』の二十五番目「観世音菩薩普門品第二十五(かんぜおんぼさつふもんほんだいにじゅうご)」は、別名「観音経」とも呼ばれます。「観音経」には、“観音様は無畏を施しなされる菩薩”と書かれています。つまり観音様は、恐れおののいていた心を、すっと静めてくださる無畏施の菩薩ということです。

  賢治の心

 もう一つ、後ろの七行の「南無妙法蓮華経」の部分。これは曼陀羅(まんだら)といいます。ここに登場することが唐突に思われるかもしれませんが、しかし、曼陀羅を抜かして「雨ニモマケズ」の詩だけを掲げるのは、正しい詩の意味にはなりません。
 曼陀羅とは、世界観・宇宙観を掛け軸等で表した、悟りの世界のことです。悟りの世界というのは、本当は形を持たないのだけれど、あえて形に表したのが曼陀羅です。
 いい換えれば、宗教の本質、仏教なら仏教の本質を表しているのが曼陀羅なのです。賢治さんは、法華経の曼陀羅に帰依する心から、「雨ニモマケズ」を書き上げたと読みとることができます。
 では、曼陀羅に出てくる二如来をご説明いたします。
 南無多宝如来(なむたほうにょらい)は、お釈迦様がお説きになった法は、すべて真実で誤りがないと証明するために多宝如来という如来が登場されたという意味です。多宝如来は久滅度(くめつど)の如来といって、すでに亡くなられた仏がまた登場されるということです。
 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)は、多宝如来によって真実であると保証された修行者が釈迦牟尼(=釈尊。仏教の開祖)であるという意味です。
 釈迦牟尼仏は、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦仏です。いまから二千数百年前にインドに私たちと同じように母のお腹から生まれてきた釈迦牟尼仏は、永遠の仏として蘇るということです。
 教えが永遠であるならば、それを説かれたお釈迦様も永遠であるということなのです。
 宮沢賢治研究家・藤根研二さんは、「重要なことを書くとき、賢治には漢字とカタカナを混ぜて書くクセがあると思う」という発表をしています。実に仏教的な詩であり、賢治さんが漢字とカタカナを混ぜて書き上げた「雨ニモマケズ」。いま一度読み返してみませんか。

〔北 貢一著『七歩あるいて読む仏教』(潟潟xラルタイム出版社)から、著者の許可を得て転載〕

〔編集子註〕

 雨にもマケズの22行目
  ヒドリ〔日取り〕期日を定めること

 曼陀羅に出てくる仏・菩薩の読みかた
  無辺行菩薩(むへんぎょうぼさつ)
  上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)
  多宝如来(たほうにょらい)
  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
  浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)
 安立行菩薩(あんりゅうぎょうぼさつ)