「阿弥陀仏」の教え                北 貢一


 皆さんは「念仏」をお唱えになったことはありますか。
 代表的なものに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」があります。「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀仏に帰依するという誓いの言葉のようなもので、主に「浄土教」の宗派で唱えられております。「念仏」とは、心に仏の姿や功徳を観じ、口に仏名を唱えることです。ですから必ずしも阿弥陀仏だけではございません。たとえば「南無釈迦仏(なむしゃかぶつ)」もございます。「南無」とは、「ナマス」という古インド語(サンスクリット語)で、信仰するという意味からきています。つまり「南無○○○」と、南無の下に仏様のお名前を唱えれば、それが「念仏」となります。
 日本や中国では阿弥陀仏信仰が流行したことにより、「南無阿弥陀仏」が一般に広まったのです。
 阿弥陀仏を念ずる(「南無阿弥陀仏」と唱える)ことによって極楽という浄土に往生(生きて、生まれ変わる)し、成仏すると説く教えを総称して「浄土教」といいます。
 今回は、日本の代表的な仏教宗派である「浄土宗」とはどのような教えなのかお話ししましょう。

  一仏一浄土

 浄土とは、仏と成る(成仏する)ために清浄された修行場所のことで、中国で成語化されました。
 思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土(ぶっこくど)」に由来しております。「仏国土」とは、多くの仏にはそれぞれの浄土がある、一仏一浄土(いちぶついちじょうど)という教えです。
 阿弥陀様の浄土は遠い西方、「極楽」という場所です。日本や中国では前述したように阿弥陀仏信仰が流行したことで、浄土というと「極楽」が一般的になります。
 ちなみに、お釈迦様の浄土は「娑婆(しゃば)」です。つまり生老病死といった苦しみや、煩悩という迷いに耐えていかなければならない人間世界が浄土ということです。私たちから見た娑婆は迷い・苦しみの世界ですが、実は「常寂光土(じょうじゃっこうど)」と呼ばれる、本当は常に穏やかな世界なのだというお釈迦様の教えです。
 また、薬師如来様の浄土は東方、「浄瑠璃」という世界です。
 日本伝統芸能に、物語を語る太夫や人形を用いて音楽と語りで展開される浄瑠璃がありますね。伝統芸能の浄瑠璃と、浄土の浄瑠璃はまったくの無関係ではございません。後ほどご説明させていただきます。
 「浄土教」は「浄土門」とも呼ばれ、日本では法然が開いた浄土宗、法然の弟子・親鸞が開いた浄土真宗、一遍が開いた時宗、という宗派が成立しました。
 これら浄土教の三宗派は仏教思想の展開史上、念仏の意味・種類・用法は極めて多岐にわたっています。したがって、法然、親鸞、一遍がそれぞれ唱える「南無阿弥陀仏」には微妙な相違があります。その違いを簡単に明記します。
◎法然……阿弥陀仏の救済にあやかるために唱える
◎親鸞……すでに阿弥陀仏によって救われているのだから、感謝の心から唱える
◎一遍……救われた喜びを、念仏と踊りで表すために唱える(僧衆の「踊念仏(おどりねんぶつ)」、在家衆の「念仏踊(ねんぶつおどり)」がある)
 「浄土教」は『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』を根本経典としています。法然がこの三経を「今はただ是れ弥陀の三部なり。故に浄土三部経と名づくるなり」(『選択本願念仏集』より)と述べたことから、これらを「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」といいます。
 浄土宗は『観無量寿経』、浄土真宗は『無量寿経』、時宗は『阿弥陀経』に重点を置きますが、いずれも「浄土三部経」を拠り所の経典としていることに変わりはありません。
 ところで「阿弥陀」は、サンスクリット語の「アミタ」からきています。そこから派生した言葉の「アミターユス」は、無量寿つまり「永遠」という意昧があり、「アミターバ」は無量光つまり「普遍」という意味があります。
 阿弥陀仏は、永遠に光を照らしてくれる仏とされております。
 仏教の浄土と、浄瑠璃の関係の例として『阿弥陀の胸わり』というお話をご紹介させていただきます。

  阿弥陀の胸わり

 ある国に、金にまかせて悪の限りを尽くした夫婦がいました。夫婦はその報いで地獄に落ちました。二人には、姉七歳と弟五歳の二人の子どもがおりました。姉は「悪行をした父母だけれども、父母の霊と、そして父母のせいで苦しんだ方々の霊を弔えるような菩提を、この身を売ってでも建てることが私の役目である」と誓い、身を買ってくれる人を求めて弟と一緒に旅に出ました。
 一方、ある金持ち長者の息子が病気になりました。どの医者にみせても原因はわかりません。わらにもすがる思いで占い師に見せると「息子さんと同じ相性の人間の、生き肝を飲ませると治る」との占いが出ました。長者は血眼になって探しておりましたら、先の姉弟と出会うのです。姉が息子と相性が同じだとわかると、生き肝を取るとは伝えずに姉を買い取りました。
 長者の奥さんは姉を哀れに思い、本当のことを話して逃がそうとします。しかし姉は「黄金堂を建て、そこに本尊として阿弥陀三尊(阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩(せいしぼさつ))を安置していただくことが私の願いです。そうすることで私も、父母も、一緒に成仏できます」というのです。
 黄金堂を建てた後、長者は家来に肝を取ってこいと命じました。家来は躊躇しながら姉がいる黄金堂に入りましたが、阿弥陀三尊がいるこの堂内では殺せないと、外に連れ出して胸を刺し、生き肝を取りました。
 息子に肝を飲ませた後、姉の死体を弔おうと長者と家来は戻りました。しかし、そこに血はありましたが、いくら探しても死体は見つかりません。長者と家来は、ふと弟の様子が気になり黄金堂に入りました。すると、姉弟は寄り添いながら無事にすやすや寝ていたのです。「これは一体どういうことだ。私は確かに肝を取った。なぜ、ここで寝ているのか」と家来は叫びました。
 滴(しずく)が落ちる音がするので、長者と家来はその方向へ目を向けました。そこには胸から血を流している、本尊の阿弥陀様がおりました。まるで肝を取られたかのように。
 阿弥陀様は、慈悲深い目をしておりました。
 日本には阿弥陀様が登場するお話が数多くあります。阿弥陀様だから「極楽」、薬師如来様だから「浄瑠璃」と厳格に分けてはおりません。日本の日常生活に溶け込まないまでも、民衆にわかりやすいよう「浄土教」の教えは浄瑠璃のような伝統芸能にアレンジされ、現代まで伝わってきたのですね。

〔北 貢一著『七歩あるいて読む仏教』(潟潟xラルタイム出版社)から、著者の許可を得て転載〕