「ダライ・ラマ」が説く仏教             北 貢一


 日本への仏教伝来は、発祥地・インドから直接ではなく、百済(くだら)や中国から、インドの言語を漢訳した経典とともに伝わりました。
 一方、チベットの仏教は、昔のチベット国王が仏教に基づく国づくりを目指し、インドから直接取り入れました。サンスクリット語をチベット語に忠実に翻訳した経典を用いており、インド仏教直系ということができると思います。以後、チベット内で独自の進化を遂げましたので、チベット仏教と呼びます。

  チベット仏教の核心

 チベット仏教の基盤は「中観(ちゅうがん)思想」です。「すべての存在は実体がない」という「空」の意味と、「輪廻(りんね)等すべてのものは依存関係にある」という「縁起(えんぎ)」の意味は、矛盾しないという「中」の考えです。
 「中」は大乗仏教の核心であり、その象徴は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんほん)第二十五」にも出てこられる、観世音菩薩です。そして、宗教的指導者という立場のダライ・ラマ法王は観世音菩薩の化身とされ、とても尊敬されています。
 チベット仏教で興味深いところは、死後の世界にあります。私たちが亡くなった後の四十九日間を中有(ちゅうう)といいます。この中有の期間の追善供養がいかに大切かということを説いておられます。
 残された方はその期間にお通夜等、いろいろな追善供養をいたします。
 亡くなられた方は、閻魔(えんま)様の前に行きます。そこには旗が二つあって、一つには生前にしたよい行い、もう一つには悪い行いが書いてあります。ほとんどの人は、悪い行いの旗が文字で真っ黒です。それを、追善供養によってよい行いの旗に文字が追加され、「お前のために追善供養をしてくれて、お前は幸せだな」と閻魔様は極楽へ送ります。追善供養が十分でない、よい行いの旗が真っ白の人は地獄へ送られるといいます。
 ここで肝心なことは、仏教では閻魔様の本地(ほんじ)は地蔵菩薩、つまりお地蔵様とされていることにあります。ある経典によりますと、お釈迦様が亡くなられ、次なる仏がこの世に現れるのは、五十六億七千万年後。その期間は無仏の時代といいます。無仏の時代に悩み苦しむ者、とりわけ幼子を救うのは地蔵菩薩といわれています。
 死者の方向を決め、なおかつ幼子を守るのが閻魔様の役目なのです。

  ダライ・ラマ法王とチベット人

 では、チベット人の尊敬の対象で、「生き仏」とされるダライ・ラマ法王とは、一体どういう立場なのでしょうか。
 〈ダライ〉は、モンゴル語で「大海」の意味です。〈ラマ〉は、チベット語で「師僧」(教える立場でもあり、修行する立場でもある)を意味します。
〈ダライ〉はなぜモンゴル語なのかといいますと、一五七八年チベット仏教の大僧院デーブン寺最初の主ソナム・ギャンツォ(三世)が、モンゴルのトウメット部のアルタン・ハーン王に謁見し、受けた称号だからです。その後、ロサン・ギャンツォ(五世)が一六四二年ダライ・ラマ政権を樹立させ、チベットの首都ラサにポタラ宮殿を造営されました。
 同時期にロサンは、チベットを支配、教化すると信じられていた観世音菩薩の化身の転生者として、前身者たち(一〜四世)とともに、五世として選定されました。その時から転生者捜索隊が始まり、転生者と認定された子どもはダライ・ラマにふさわしい教育を受けることになります。
 そしてこの時、宗教的権威も政治的権威も、大僧院座主であるダライ・ラマに移りました。現在のダライ・ラマ十四世は、名前はテンジン・ギャンツォで、代々「ギャンツォ」を継いでおります。
 ここで申し上げなければいけないことは、チベットという国はいまはございません。というのは、中国が軍事侵攻し、自治領にしてしまいました。否(いな)、自治領とは名ばかりで、ダライ・ラマ法王のことを市民が口にすることすら禁止、弾圧しております。
 ダライ・ラマ十三世は、イギリス、ロシア、中国の勢力の間で独立運動を試みながら亡くなられました。
 それを継いだ十四世は、中国政府と交渉が決裂し、戦争か逃げるかしか道はありませんでした。「人が人を殺してはいけない」という仏教の教えを守り、人々にチベット仏教を示すため、逃げる道を選びました。中国政府に捕まらないよう、一九五九年インドに亡命。当時インドのネール首相の許可を得て、ヒマラヤ山脈の西南のダラムサラに亡命政権を樹立されました。そして世界中の国に協力を訴えておられます。二〇〇七年九月にはドイツのメルケル首相と、同年十月にはアメリカのブッシュ大統領と会談しています。この行為に中国政府は反発しております。
 チベット人は、チベットに残る人、中国に住まざるをえない人、そして第三国へ行く人に分かれましたが、いずれも差別や貧困に苦しんでいるという、悲しい現実があります。

  観世音菩薩とは

 ダライ・ラマの化身とされる観世音菩薩は、その身を三十三身に姿を変え、衆生の苦しみを救うとされています。
 三十三身とは、三聖身、六天身、五人身、四部衆身、四婦女身、二童身、八部身、執金剛身の、以上、すべてを足した三十三です。
 苦しみの取り去り方は、「種々の形をもって諸の国土に遊んで、衆生を度脱(どだつ)す」といわれます。まるでレクリエーションをするかのごとく自然に、いつの間にか苦しみが消え去っているということです。しかしそれは〈大悲代受苦(だいひだいじゅく)〉といって、つまり、仏や菩薩が苦しみを代わりに受けておられるという教えでございます。
 観世音菩薩が目指す世界を言葉にするならば、おそらくこのような表現になります。ダライ・ラマの教えはまさにこの三つです。
◎慈悲と思いやりに満ちた、利他的な社会の建設
◎不正を正したいという慈悲心から発する「怒り」や「憤り」は必要
◎仏陀や大菩薩に対して抱く競争心(あのようになりたいと思う心)は必要
 三番目について補足いたします。中国の僧・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)は「師の半徳(はんどく)を減ず」という言葉を残されました。いつも師の下にくっついているだけで、師を超えようと修行努力をしない者は、むしろ師の徳を半分削ってしまう、ということです。
 師を超えることはできないかもしれないけれど、なんとかして超えようというその努力、向上心は、自分とさらに師匠をも高めるということなのですね。

 北 貢一著『七歩あるいて読む仏教』(潟潟xラルタイム出版社)からの転載のお許しを得て、最初の原稿「仏教の原点は『現実直視』」を『詩人散歩』に転載させていただいたのは、平成二十年夏号でした。以来、今号の「『ダライ・ラマ』が説く仏教」まで四十編、十年に亘って転載させていただき、今回が最終回となりました。
 この欄を楽しみにしてくださった皆さまは、今回が最終回と知って、さびしい思いが湧き上がってくるのではないでしょうか。編集・発行を担当する私たちにしても、まだ次回があるような感じが拭いきれません。名残惜しいとは、このことを言うのでありましょう。
 北 貢一さんには、ただただ、感謝申し上げるばかりです。
 ありがとうございました。
 北 貢一さんは、私たちの先輩でありまた師匠でもあります。私たちは、これまでいただいたご教示を大切にさせていただき、減師半徳の才にも及ばない私たちですが、精いっぱい精進させていただきたいと思います。
 北 貢一さんには、これからもお元気で、私たちのために教えを説き続けてくださいますよう、心からお願い申し上げます。
                                『詩人散歩』発行者 菊地良輔
                                    編集者 浪 宏友

〔北 貢一著『七歩あるいて読む仏教』(潟潟xラルタイム出版社)から、著者の許可を得て転載〕