[ビジネス縁起観からのメッセージ]        浪 宏友


▽弟子

 ある腕のよい職人さんが、始めて弟子を募りました。さっそく応募者があり、素質のありそうな若者を一人弟子にしました。若者は熱心に仕事を覚え、三年もたつとそろそろ任せてもいいかなという腕になりました。ところがある日弟子は挨拶もそこそこにさっさと出て行ってしまいました。
 仕方がないので、また弟子を取りました。この弟子もそろそろ一人前という頃に、また出て行きました。こうして、三人の弟子を取りましたが、三人とも仕事を覚えたところで出て行ってしまったのです。
 職人さんは、近頃の若いもんは我慢が足りない、恩というものを知らないなどと怒りましたが、どうにもならず、とうとう弟子を育てるのを諦めてしまいました。

▽人格否定

 三人の弟子が三人とも、仕事を覚えたところで出て行ってしまったのには訳がありました。この職人さんは、弟子に仕事を教えることはできましたが、もう一つ、大切なものを育てることができなかったのです。
 職人さんは弟子の腕を上げようと、熱心に指導したのですが、指導のしかたに問題がありました。弟子たちに対して、出来の良いときは何も言わず、出来の悪いときは怒鳴り散らす、それも人格否定の言葉を叩きつけるという態度でした。
 人格否定を繰り返された弟子たちが、早くここから出て行きたいと願うようになったのは、自然の情というものでしょう。

▽メンバーシップ

 職人さんが育てられなかったものは、メンバーシップです。
 ビジネス縁起観でいうメンバーシップとは従業員(ここでは弟子)が「自分はこの会社(店でも職場でもよい)の一員である」との思いを抱き、それによって心が安らかとなりまた誇りを持つことです。深い帰属感情です。
 メンバーシップが育ちますと、仕事が辛くても辞めようなどとは思いませんし、他の会社から引き抜きにきても動こうとはしません。
 この会社の一員であることが、幸せのもとになっているからです。

▽心のつながり

 メンバーシップの本質は、組織における本人の存在価値と、リーダーと本人との間の良好な人間関係です。仕事上の能力があって重宝されていたとしても、本人が存在価値を実感できない職場や、人間関係の悪い職場からは、早く立ち去りたいと願うものです。
 リーダーと本人の間に、信頼と親しみの人間関係があるとき、言い換えれば心のつながりが深まっているとき、メンバーシップが確立することに、この職人さんは、思いを巡らすことができなかったのです。(浪 宏友)
☆「詩人散歩」平成20年秋号に掲載