[ビジネス縁起観からのメッセージ]        浪 宏友


 田上太秀博士が著した『ブッダが語る人間関係の智慧「六方礼経」を手がかりに』(東京書籍)を読んでいましたら、事業主と従業員の関係に言及しているところがありました。
 ブッダとは、釈迦牟尼世尊のことですから、紀元前五百年か六百年か、そんな昔に説かれたお話ということになります。

 ここで釈迦牟尼世尊は、事業主に、「従業員に尽くす」ことを説いています。一方、従業員には「事業主を愛する」ことを説きました。
 従業員が事業主に尽くすのが当たり前と考えられている中で、釈迦牟尼世尊がこのように説いたことについて、田上博士は、「人間平等の立場を貫いた、理想的労使関係を説いていると考えられます」「現代社会の労使関係の原型をそこに見る思いがします」と語っています。
 しかし、現代社会は、ここに説かれるところまでは、まだまだ届いていないように思われます。

 事業主が従業員に尽くす内容のひとつに「その能力に応じて仕事をあてがうこと」があります。これに対応して、従業員が事業主を愛する内容のひとつは「その仕事をよくこなすこと」となっています。
 これはもう、尽くすとか愛するとかを超えて、阿吽の呼吸と言うべきではないかと、私は思いました。

 このとき私の頭をよぎったのは、ドラッカーです。彼は、働く人を生かすのは、マネジメントの責任のひとつだと言っています。
 働く人にやりがいのある仕事を与えることが、働く人を生かすうえで最も重要である。やりがいのある仕事を得た人は、成果に向かって責任を果たそうと努める。
 そのようなことを語っています。

 マネジメントが働く人を信頼するから、やりがいのある仕事を、責任と権限を添えて任せることができます。
 働く人はマネジメントを信頼するから、責任を担い成果に向かって力を尽くすことができます。ここには、マネジメントと働く人の阿吽の呼吸が感じられます。

 二五〇〇年前の釈迦牟尼世尊と、現代の巨人ドラッカーが(時代相の違いもあって言葉は違っていますが)同じ主旨の話をしているのは偶然ではありません。いつでも、どこでも、だれにでもあてはまる真理に基づいた言葉であれば、誰が語っても、その本質が変わることはないからです。
 これが真理であるならば、真理にしたがう経営者は繁栄し、真理に背く経営者は困窮することでしょう。実際そうなっていると、私の目には映るのです。(浪)
☆「詩人散歩」平成23年秋号に掲載