[ビジネス縁起観からのメッセージ]        浪 宏友


 怒っているときは不幸せなときにちがいありません。目を吊り上げて怒鳴りまくっている人が、幸せであるはずがありません。怒りと怒りをぶつけあって喧嘩している人は、不幸の真っ只中にあるのではないでしょうか。

 怒って見せれば、相手は自分の言う通りになると思うかもしれません。それは思い違いです。怒りをぶつけられた人は、危険を避けるために緊急避難的に言うことを聞いているにすぎません。危険が去れば言う通りにする必要はなくなります。
 怒りっぽい社長の前ではまじめに働いていた社員たちが、社長がいなくなるとたちまちだらけだすというような光景は珍しくありません。

 怒りをぶつけられた人は、それだけで不幸になります。自分を不幸にする人には近づきたくないでしょう。止むを得ない場合は我慢しても、普段はできるだけ遠ざかっていようと思うでしょう。いつも怒っている人が、だんだん孤独になっていく姿をいくつも見てきました。

   感情を爆発させて大声で怒鳴るだけが怒りではありません。何かと文句を言うのも怒りの一形態です。不平不満も怒りのひとつです。嫉妬も怒りです。意地悪とかいじめも怒りです。憎しみとか恨みとかは、怒りが持続している状態です。

 怒りは破壊する心です。ものを壊します。人の心を傷つけます。身体を傷つけ、生命を奪うこともあります。世間的には人間関係を壊します。
 何よりも、怒っている人自身が壊れます。心が壊れ、人格が壊れ、ついには人生が壊れます。

 怒っている人は、自分がこんなにも壊しまくっていることに気づくことができません。また、自分が壊れまくっていることにも気づくことができません。そうこうしているうちに、取り返しのつかない不幸へと自分を運んでいくのです。

   仏教に忍辱(にんにく)という修業があります。いかなる事態に遭遇しても、決して真理の道から外れないという修業です。
 忍辱行のひとつは、怒りを発しないこと、慢心を起こさないことです。この修業が進むと、清濁併せ呑む大きな人格が養われます。

 怒りを発しますと智慧を失います。このため幸福への道を見失います。
 忍辱の修業が進みますと智慧が豊かになり、自ずから幸福への道を歩むようになります。
 どちらの道を選ぶかはご本人次第ということになるのでしょうが、私としては、やはり、忍辱の修行に入り、幸福への道を歩まれることを、お勧めしたいと思います。(浪)
☆「詩人散歩」平成27年冬号に掲載