[ビジネス縁起観からのメッセージ]      浪 宏友


 あるとき、こんな質問を受けました。
 「褒めて育てるほうがいいのでしょうか? 叱って育てるほうがいいのでしょうか?」
 私は即座に、「褒めたり、叱ったりして育ててください」と申し上げました。
 相手により、場合によって、適宜、褒めていただきたいし、叱っていただきたいと、そう思ったからです。
 しかし、まだ若かった私は、大事なことに言及できませんでした。褒める基準、叱る基準について、何も言わなかったのです。

 何のために褒めたり、叱ったりするのでしょうか。親は、子供のためと言うでしょう。社長は、社員のためと言うでしょう。しかし、子供のためとは、社員のためとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。

 親や社長に都合の良い結果を出したときに誉める、都合の悪い結果を出したときには叱る、あるいは怒る。これでは、親や社長の都合が基準になっているのですから、子供のためでもなく、社員のためでもありません。
 もっとひどいのは、気分がいいときは褒めるけれども、気分が悪いときには叱るというか、怒るというようなことです。これが続くと、子供は親の顔色を見ながら行動します。社員は、社長の機嫌を感じながら仕事をするようになります。

   考えてみれば、「褒める」も「叱る」も、上から見下ろした言葉です。これが、相手を支配し、服従させるための方法になっていたら、教育・育成とは何の関係もなくなります。
 部下を怒鳴り散らしながら追い立てる。逆に部下をおだてて、自分のやりたくない仕事を押し付ける。これではまるで家畜扱いです。そんな上司の人間性は、腐っているかもしれません。

 本当に相手を成長させたいのであれば、褒めるとか叱るとかに拘泥することなく、本当に正しい方法を模索する必要があると思います。
 正しい方法は数あるけれども、その中に褒めるという手法もあるし、叱るという手法もあるというのが、本当だろうと思います。

 それにしても、相手を見くだすことはやめたいものです。相手が子供であっても、社員であっても、一人の人間として尊重し、敬意をもって対したいと思います。
 そういう姿勢になれば、「褒める」のをやめて「讃える」ことになりそうです。「叱る」のをやめて「惜しむ」ことになりそうです。

 相手を人間として尊重し、敬意をもって対すれば、本当はどうすればいいのかが、自ずから分かってくるに違いないと、私は考えています (浪)

 ☆「詩人散歩」令和元年夏号に掲載