「人から良く思われたい」と言います。具体的には、どう思われればいいのでしょう。
「人から悪く思われたくない」と言います。具体的には、どう思われなければいいのでしょう。
Aさんに気に入られるためには、Aさんの喜ぶことをしなければならないでしょう。それをすれば、自分も喜べるのでしょうか。自分は、ただ、苦痛なだけなのだけれど、Aさんに好かれるためには仕方がないのでしょうか。
Bさんに良く思われるためには、Bさんの喜ぶことをしなければならないでしょう。
Cさんに良く思われるためには、Cさんの喜ぶことをしなければならないでしょう。
Aさんの喜ぶこと、Bさんの喜ぶこと、Cさんの喜ぶことがそれぞれ違っていたら、どうなることでしょう。AさんとBさんとCさんが、同席しているところでは、どうすればいいのでしょう。
そういうふうに、人の目を気にしてばかりいる自分、人の顔色ばかり窺っている自分が、自分は好きなのでしょうか。
人に良く思われたい、人から悪く思われたくないと、人の目に映る自分ばかりを気にしているうちに、自分自身がない感覚に襲われたと告白する人がいました。そして、そんな自分が大嫌いだと言っていました。
外面が良くて、内面が悪いなどと言います。
外では他人の顔色ばかり窺って、ヘイコラヘイコラしている人が、家庭では苦虫を噛みつぶしたような顔をして、怒鳴り散らしているということもあります。外で鬱積したものを、家族にぶつけているのです。家庭を破壊しているのです。
そんなことをしていると、家族からの愛を失い信頼を失ってしまいます。
酒癖もそうです。日常的には、腰が低くて大人しそうなのに、お酒を少し飲みすぎると、たちまち鬼のような顔になって、日頃の鬱憤を、そこら中にたたきつける人がいます。
そんなことをすると、たちまち信用を失ってしまいます。人の目を気にして自分を殺してまで重ねてきた苦労を、一晩で駄目にしてしまいます。
Aさんにも、Bさんにも、Cさんにも、爽やかな好感を持ってもらえる自分になりたいと思いませんか。
家族に愛されそして信頼される自分になりたいと思いませんか。
そして何よりも、自分に好かれる自分になりたいと思いませんか。
一度、自分に、問いかけてみるのもいいかもしれません。(浪)
☆「詩人散歩」令和02年春号に掲載