[ビジネス縁起観からのメッセージ]      浪 宏友


 人のことを散々怒鳴りつけたり、こき下ろしたりして置いて、急に「お前にちゃんとして欲しいから言ってるんだ」などと・・・。
 これ、嘘ですね。怒っているうちに、怒っている自分の格好悪さに気がついて、取り繕っているだけですね。
 そんなこと、多分、もう、見抜かれています。怒っている相手には・・・。

 恐ろしい形相をしているけれど、全然怒っていない。それは、不動明王です。
 不動明王は、本当は大日如来なので、全身慈悲に満ちているのです。怒るわけがないのです。それなのに、まるで怒っているかのような恐ろしい姿を見せるのは、人々を目覚めさせ、正しい道へ導くための方法の一つです。
 仏の姿で導いても、菩薩の姿で導いても、まるで教えを馬鹿にして自分を改めようとしない人がいます。そんな人の前に、恐ろしい不動明王の姿で立ち現れて、教えに心を向けさせようとする苦肉の方法なのです。
 こういうときこそ、「お前にちゃんとして欲しいから言ってるんだ」と言えるのです。

 「怒っているときには怒るな、怒ってないときに怒れ」と言います。
 子供とか、生徒とか、部下とかの行動を改めさせようと思って、怒って見せようと思うのなら、自分が怒っているときにはやめなさい、自分が怒っていないときにやりなさい、そう言っているのです。

   怒っているときに怒れば、自分の怒りの感情をぶつけるだけになりますから、相手の状態や表情など構わずに、ただ、怒鳴り散らすだけで終ってしまいます。これでは、相手は、ただ恐ろしいと思うだけです。自分を改めようなどと考えることは期待できません。かえって、あの人がいるときは、目立たないように大人しくしていようなどと思わせてしまいます。怒っても何の役にも立たないどころか、マイナスの効果を生んでしまいます。

 怒っていないときに怒るのは、一つの技法です。この人は、このように怒れば、このように受けとめてこのように切り替えると見通しを立てて、計画的に怒るのです。これが、不動明王の怒りです。
 表面的には怒っていますが、怒りながら相手を観察して、様子が変われば怒り方を変えたり、怒るのを止めたり、適切にコントロールするのです。
 この方法は、他の方法では効果が見られないときに用いる、最後の手段と考えるべきだと思います。

 怒りの根っこには、相手を自分の思うままにしたいという自分本位の欲望があります。
 不動明王の、いわば演技としての怒りの根っこには相手を正しい道に導き入れたいという慈悲があります。
 両者には、決定的な違いがあることを、知っておくべきでありましょう。

 ☆「詩人散歩」令和03年冬号に掲載