[ビジネス縁起観からのメッセージ]      浪 宏友



 お釈迦さまは、「縁起の法」を覚って、正覚者となられた。そう伝えられています。
 「縁起」とは、「なんらかの先行する条件があって生起する」というような意味だそうです。
 お釈迦さまの教えは、すべて、「縁起の法」を源泉としているとも言われています。

 お釈迦さまの教えの中でも、もっとも重要な教えのひとつと言われる「四つの聖諦」が、「原因・結果の原理」で出来ているところをみると、「原因・結果の原理」は、「縁起の法」と関係があります。また、「原因・結果の原理」を拡張した「原因・条件・結果・影響の原理」も、「縁起の法」と関係があります。
 私には「縁起の法」そのものは分かりませんが、「縁起の法」と深い関係があると考えられる「原因・結果の原理」と、「原因・条件・結果・影響の原理」を活用して、「ビジネス縁起観」を開発しています。

 私の見るところ、仏教のテーマは、「自分自身の在り方」と、「自分と他の人との人間関係」です。 私は、自分の在り方を、原因・結果の原理と原因・条件・結果・影響の原理を活用して改善します。 また、自分と他の人との人間関係を、原因・結果の原理と原因・条件・結果・影響の原理を活用して改善します。

 縁起の法は、難しいとか、深遠だと言われます。しかし、縁起の法の現実的な現れである「原因・結果の原理」は、単純で難しくありません。しかしながら、その活用に入ると、難しくなってきます。

 この原理で自分を見つめ、自分と誰かの人間関係を見つめていると、どれが原因で、どれが結果なのか、だんだんもつれてくるのです。
 原理自体は難しくありませんが、原理の活用は難しいというのが、私の実感です。そして、原理の活用を難しくしている原因は、どうやら、自分の中にあるようです。

 自分の中に執着があり、自分本位がありますと、原因と結果の関係を、自分に都合よく組み立てようとします。
 それぞれの人が、そういうことをしますから、現実に起きているものごとの解釈が、人によって異なってきます。そうして主張が食い違い、争いが拡大していきます。
 そういう姿を、小は子供の喧嘩から、大は国際紛争まで、数知れず見ています。

 お釈迦さまは、あるがままをあるがままに見ることを教えてくださいました。
 事実をあるがままに見ると同時に、そこにはたらいている原因・結果の関係をあるがままに見るのです。そうすれば正しい判断ができて、正しい対応をすることができるようになるのです。
 そこのところが難しいということを、私は、嫌というほど経験してきました。(浪 宏友)