【随筆】−水星            浪   宏 友


 太陽に一番近い惑星が水星です。名前は水の星ですが,水はまったくないと言っていいくらいです。大気は太陽風に吹き飛ばされてしまいました。
 太陽系で一番小さい惑星は一番外側を回っている冥王星で,二番目に小さい惑星が一番内側を回っている水星です。ついでながら地球の大きさは,小さい方からも大きい方からも五番目です。
 水星に立って太陽を見ると,地球から見た太陽よりもずっと大きく見えるはずです。その上大気がありませんから,太陽光を和らげるものがありません。このために太陽の熱をまともに受けて,昼間は地表の温度がプラス400度程度まで上がります。
 ところが大気や水がないために,今度は保温ができません。そのために,夜はマイナス160度程度まで下がります。実に荒々しい温度変化です。
 水星の表面には,クレーターがたくさんあります。地球に隕石が飛び込んでくると,その多くは流れ星となって空中で燃え尽きてしまいますが,大気がない水星では,そのまま地表に激突します。こうしてクレーターがたくさんできることになります。なかには相当古いクレーターもあるようで,このあたりは月とよく似ています。
 金星は明けの明星や宵の明星となって,私たちを喜ばせてくれますが,水星は太陽に近すぎて見えにくいこともあり,明星になっている暇もありません。ほんのときおり,ちらりとご挨拶をしてくれることがあるそうですが,よほどその気になって探さないと見つかりそうもありません。
 たいした特徴もないし目立ちもしないこの星が,かつて,人間の大仕事のお手伝いをしてくれたことがありました。
 17世紀後半から18世紀初めにかけて活躍した物理学者にアイザック・ニュートンがいます。彼によって立てられた運動方程式と万有引力の法則は,簡単でありながら大きな力を発揮しました。私たちが見聞しているさまざまな現象が,これらの法則によって解明され,次々と新しい知見が開けてきました。
 しかし,なかにはニュートンの理論だけでは解けない現象もあったのです。そのひとつが水星の近日点移動の問題でした。
 惑星は太陽をひとつの焦点とした楕円軌道を描いて公転しています。近日点というのは惑星や彗星が,その公転軌道上で太陽に最も近づくときの位置のことです。
 水星は地球の88日間で太陽を一周するわけですが,このとき,近日点が少しずつ移動します。その移動量を,ニュートン力学では説明できませんでした。
 アルベルト・アインシュタインは20世紀に活躍した物理学者です。彼はまず特殊相対性理論を発表し,次いで一般相対性理論を発表しました。この理論によって水星の近日点の移動が説明されました。その後,アインシュタインの相対性理論は,人類のためにさまざまな仕事をしてくれました。
 そういうわけで,水星は物理学の新しい地平を開くという大仕事のお手伝いをすることができたのでした。
 私が物理学を学んだ東京理科大学では,アインシュタインの相対性理論によって説明される,太陽の重力によって曲げられる光の軌道を図案化した徴章を用いています。
 ニュートンの力学は,多くの現象をよく解明できますが,ある限界を超えると力不足となりました。アインシュタインの相対性理論もまた,ある限界を超えるとやはり力不足となるようです。
 このため,物理学者たちは必死になって新しい理論の発見,構築に力を注いでいます。飽くことなく真理を追求する人間の熱意の表れと見るべきでしょう。(浪)

 出典:炭酸検協会報(平成17年6月号に掲載)