【随筆】−「土星」            浪   宏 友


 土星は人気者です。なんといってもあの環です。幾重もの同心円に広がって,土星を抱いているあの環です。
 土星が太陽系の宝石と言われるのは,この美しい環があるからだと思います。土星には金星や木星のような派手さはありませんが,どこか静かで,気品があって,それでいて悠揚迫らぬ雰囲気を持っている。そんなふうに私には感じられます。ちょっと,ひいきしすぎでしょうか。他の惑星も大好きですから,どうか焼き餅を焼かないでください。
 昨年の夏,カッシーニ探査機が土星に到着しました。6年8カ月の長旅でした。到着してから4年の間,土星を周回しながら,さまざまな観測を行うのだそうです。
 カッシーニ探査機が土星の写真を送ってくれました。真っ暗な宇宙を背景に,土星が静かに浮かび上がっています。土星本体の磨き上げられた縞模様。そのまわりには七重八重に重なる美しい環があります。更に近づいた写真では,土星の環はレコード盤のトラックのように繊細でした。
 土星の直径は地球の9倍半くらい。環のほうは端から端までの距離が地球の39倍もあるそうです。
 土星本体はガス惑星で,水素やヘリウムの厚い大気を持っています。環のほうは主として氷でできています。
 自然界は美しい造形をつくる天才ですが,こんな単純な材料で,これほど美しいものをこれほどの規模で作り上げるとは,ここでも自然は造形の才能を遺憾なく発揮しているようです。
 土星の環は,土星だけにあるものだと思っていましたが,最近の観測で木星,天王星,海王星にも環があることが確認されました。とはいえ,私の望遠鏡で見ることができるのは,やはり土星の環だけです。
 観測技術の発達で,土星のすがたがだんだん明らかになってきました。環は氷のかけらの集まり,木星はガスの固まりなどと。だからといって土星の神秘がなくなるわけではありません。いや,ひとつの神秘が消えることによって,さらに多くの神秘が生まれてくると言ってもいいでしょう。
 人間にとって最大の神秘は,人間そのものであるかもしれません。人間がなぜ生まれてきたのか,人間の本当のすがたはどうなっているのか,われわれはまだ突き止めていないように思えます。
 人間は認識した通りに行動します。正しく認識することが,正しい行動を取るための欠かせない条件です。認識を誤れば行動も誤ってしまうからです。
 現在の人間は,国により立場により経験により,さまざまな条件の違いによって,多様な認識が混在しています。認識と認識がぶつかり合って争いごとが絶えません。人間として,根源的な認識だけは共有したいものだと思いますが,その手がかりさえもなかなか見えてきません。
 惑星探査の目的のひとつは,生命の誕生の秘密を探ることにあるようですが,それはとりもなおさず,人類の誕生の秘密を探ることでありましょう。
 カッシーニ探査機から小型探査機ホイヘンスが放出され,土星の衛星のひとつタイタンに着陸しました。大気の成分が生命が誕生する前の地球に似ているといわれるタイタンを詳しく観測するためです。
 このようにして,ほんの少しずつでも人間の真実に近づき,そのことを通して根源的な認識を共有できるようになれば,地球上から争いをなくす手がかりが生まれてくるかもしれません。
 美しい土星が,そのような手がかりを私たちにプレゼントしてくれたらどんなに嬉しいことかと思います。(浪)

 出典:炭酸検協会報(平成17年11月号に掲載)