【随筆】−「養老の滝」            浪   宏 友


 私がまだ子供だったころ,こんな伝説を聞いたことがありました。
 昔,あるところに一人の若者がいました。毎日山で薪(たきぎ)を取ったり,草を摘んだりして,これを売って細々と暮らしていました。
 若者には年老いた父親がいました。病弱な父親は働くこともできず,毎日,息子の帰りをただ待っているばかりでした。
 父親はお酒が好きだったのですが,若者の僅かな稼ぎでは,とても酒など買うことはできません。
 ある日若者は,今まで行ったことのない山奥まで入ってみました。すると,一条の滝が見つかりました。喉の渇いていた若者は早速滝の水を飲みました。これがたいそう美味しかったので,父親にも飲ませて上げたいと,持っていた瓢箪に滝の水を汲みました。
 帰って来た若者は,父親に滝の話をして瓢箪の水を飲ませました。父親が瓢箪に口をつけてごくんと一口飲むと,びっくりして言いました。こんな美味い酒は飲んだことがない。
 若者は,それは酒ではないよ,ただの水だよと笑っていますと,父親は二口三口飲んで,うんにゃこれは酒だ,たしかに酒だと息子に瓢箪を差し出しました。息子が笑いながら一口飲むと,なんと,本当にお酒だったのです。
 これは山の神様が,息子の孝心をめでて滝をお酒に変えてくれたに相違ない。親子は山に向かって手を合わせ,ありがたくお酒を頂いたのでした。
 うろ覚えの話を思い出して,改めて調べてみると,美濃の国,現在の岐阜県に伝わる伝説のようです。養老郡養老町に養老公園がありますが,その中心となっているのが養老の滝なのだそうです。
 養老公園に伝わる伝説は,私が聞いたものとほぼ同じでしたが,あとに続く話がありました。
 元正天皇(680〜748,在位715〜724,女帝)が話を聞いて自ら行幸し,その年から元号を養老(717〜723)に改めたとなっています。飛鳥時代から奈良時代に移ったころです。
 元正天皇が霊泉の話を聞いて美濃に行幸したのは史実らしく,これに孝養伝説が結びついたものなのでしょう。別個の伝説が結びついて,お話が展開していく例はいろいろと見聞きしています。
 養老の滝の伝説を現代感覚で見ると,世相と重なってなかなか面白いものがあります。
 養老の滝伝説はいくつかありますが,いずれも年老いて病弱な父がいたとか,年老いた父母を養っていたという設定になっています。見方によっては要介護の親を抱えた話になるのかもしれません。
 伝説の中には,老父母が養老の滝を飲んだら元気になったというものがありました。これなどは,健康飲料の話に聞こえます。
 山奥の美味しい水といえば,現代でもミネラルウォーターなどと言って大もてのようですが,昔も,美味しい水は評判になったのかもしれません。
 そのような美味しい水が採れる山を大切にするのは,環境保持とか里山のこととかに結びついているようにも思われます。
 いやいや,あまり現代の眼で解釈などすると,味気なくなってしまいそうです。
 そうそう,春日八郎さん(1924〜1991)が「ひょうたんブギ」を歌ってましたっけ。あれは,たしか養老の滝がモチーフになっていたと思います。
 「飲めや歌えや世の中は/酒だ酒だよひょうたんブギ/どうせ飲むなら養老の滝を/飲んでみたいよ腹一杯」と,明るい調子でヒットした記憶があります。
 酒は憂いの玉箒と歌った歌人がいたそうですし,酒は百薬の長ともいわれてきました。
 美味しい水,美味しいお酒は,大切にしたいものだと思います。(浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年1月号に掲載)