【随筆】−「弘法水伝説」            浪   宏 友


 平安時代の名僧空海(774〜835)は,入定した後,弘法大師の諡(おくりな)を賜りました。その事跡については皆さまはよくご存知のことと思います。
 ところで,日本全国に弘法大師にまつわる水の話が伝わっています。
 河野 忠氏(日本文理大学建設都市工学科教授)によれば,弘法大師にまつわる伝説は全国で3000以上もあるそうです。その中で弘法大師にまつわる水いわゆる弘法水の伝説は1352篇にのぼったと,平成14年の論文で紹介しておられます。
 典型的な弘法水伝説をご紹介しましょう。これは兵庫県篠山市の味間あたりに伝わるお話だそうです。
 ある日のこと,山奥の味間に,みすぼらしいお坊さんがやってきました。
 北村までやってきたお坊さんはある家の前で「おばあさんや,すまんが水を一ぱいくださらんか」と頼みました。おばあさんは「わしの家で使うだけの水で精一杯や」と断ってしまいました。
 お坊さんはしかたなく歩くうちに,南村まできました。そこでせっせと草刈りをしていたおじいさんに「すまんが,水を一ぱいくださらんか」と頼みました。おじいさんは「はい,はい,おやすいことで」と水をくれました。「ああおいしい水じゃ,これで生き返った」と,お坊さんは何回も何回もお礼を言うと,山すその草むらに行き,持っていたつえをつきさして「ここは,きれいな水のわくところじゃ,掘ってみなさるがよい」と言い残し,どこへともなく立ち去ってしまいました。
 村人たちは,教えられたとおり,みんなで掘ってみますと,コンコンときれいな水がわき出してきました。
「これはありがたい,ありがたい。でも不思議なお坊さんだ」誰もが口をそろえて言いましたが,のちにそれが弘法大師だったことが分かりました。
 今でも南ではきれいな清水がわき出ていますが北は雨の降らない限り,いつも水がなく河原の石が白くなっているということです。
 かつて,東京から金沢に行く途中,故あって長岡から信越本線を利用したことがありました。その途中,車窓から古びた看板を目にしました。そこには弘法大師の塩水井戸と書かれていたと思います。民間の伝承や弘法大師に興味を持っていたために,記憶に残ってしまいました。
 後で調べてみると,どうやら柏崎市西長島岩の入ではなかったかと思われます。この地域は,地図で確かめても,かなり山の中です。
 昔,弘法大師が諸国をまわられた時,この地に足を踏み入れました。日が暮れて一夜の宿を請うた家で,貧しい老女のこころづくしのもてなしを受けました。
 そのとき老女は小豆がゆを作ってくれたのですが,たまたま塩をきらしていました。小豆がゆは,ひとつまみの塩があって美味しくいただけるのです。山奥のことでもあり近所に人家も見えない土地ですから,老女はすっかり困ってしまいました。これをみかねた弘法大師は,庭先に出て錫杖を突き立てました。するとそこから塩水が涌きだしたのです。老女は驚きつつ,感激しつつ,この塩水を使って小豆がゆをつくり,弘法大師に召し上がっていただきました。
 この井戸は今も健在で,土地の人によってお堂が建てられ,毎年2月には弘法大師堂霊塩水祭礼が行われています。
 私の師匠は,水と時間を無駄にするくらい罪の深いことはないと,繰り返し教えてくれました。
 弘法大師伝説は,史実として見たときには,ありえない話でしょうが,大切な水をいっそう大切にする心を養ってきたとしたら,単なる伝説では済まされないものがあるような気がします。             (浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年2月号に掲載)