【随筆】−「お水取りとお水送り」               浪   宏 友


 奈良東大寺二月堂では,3月1日から2週間かけて修二会(しゅうにえ)が行われます。
 修二会とは,2月に修する法会という意味なのだそうです。修二会が行われる堂という意味で二月堂といわれるのだとも聞きました。 それでは修二会が,なぜ3月に行われるのでしょうか。修二会は古くは旧暦で行われていました。旧暦の2月は新暦ではおおむね3月になります。そのため,3月に行われるようになったようです。
 修二会では,大規模で厳格な儀式が執り行われます。
 修二会の期間中,毎日夕刻から僧侶たちが二月堂に上がります。そのとき僧侶たちの足元を照らす道明かりにたいまつが焚かれます。これがおたいまつです。
 3月12日の真夜中に,二月堂の前にある閼伽井屋(あかいや)からお香水(おこうずい)を汲み上げ,観音さまにお供えする儀式があります。これがお水取りです。
 お水取りは修二会のクライマックスで,この日には,大勢の人びとが二月堂に押し寄せ,大賑わいとなります。15日を最後に修二会のすべての儀式は終わります。
 奈良時代から続いているという伝統の儀式は,多くの人びとの心をひきつけて,これからも絶えることなく続いていくことでしょう。
 私は,お水取りの様子をテレビ放映で見ているばかりでした。画面には大たいまつの燃え上がる様子ばかりがきわだって,これでは水のお祭りではなくて,火祭りではないかなどと思ったこともありました。ところが教えられてみると,やはりお水取りが一番大切な儀式だったのです。たいまつはそのための明かりでした。見かけに惑わされて,本当のことが分からなかったわけです。
 ところがもうひとつ,知らなかったことがありました。華々しい印象を与える奈良東大寺二月堂のお水取りと対になって,もうひとつの儀式があったのです。それは,お水送りという儀式でした。
 お水取りでは,お香水を閼伽井(あかい)という井戸から汲み上げると言いましたが,この井戸はまた若狭井とも言うそうです。
 二月堂でお水取りが行われるのは3月12日の真夜中ですが,これを10日さかのぼる3月2日に若狭の神宮寺で修二会が行われます。福井県小浜市ですから,かなり離れたところです。
 若狭神宮寺は奈良時代初期の創建であるといいますから,奈良東大寺よりも先にできていたわけです。
 神宮寺での法会のあと,たいまつの明かりの中,お香水が遠敷(おにゅう)川に運ばれ鵜の瀬で川にそそがれます。
 するとお香水は地中を流れて,10日後に二月堂の若狭井からわきだすのだそうです。こうして若狭の国から送られてきた水を汲み上げるので,若狭井という名がついたとのことです。
 お水送りにはいわれがありました。
 奈良時代,実忠和尚が東大寺二月堂の修二会で全国の神々を呼び出しました。そのとき若狭の遠敷明神だけが魚釣りをしていて集まりに遅れてしまったのです。たぶん,遊びではなくて,生活のための魚釣りだったのだと思いますが。
 ともあれ遠敷明神はこれを深く詫びて,若狭から香水を捧げることを約束しました。すると若狭の鵜の瀬で遊んでいた白と黒の鵜が岩から飛び出し,その後から若狭の水が涌き出してきました。これが若狭井(閼伽井)となったのです。
 ですから若狭井は普段は水が枯れているのに,3月12日の深夜,お水取りの儀式が行われる時だけ,若狭国の遠敷川の水がわき出すのです。
 なお神聖な若狭井を俗人が覗いたりすることは,厳禁されているそうです。  (浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年3月号に掲載)