【随筆】−「笛吹川」               浪   宏 友


静岡県富士市から駿河湾に流れ込む富士川を遡ると,山梨県西八代郡市川大門町あたりで二つの大きな支流に分かれます。ひとつは釜無川,もうひとつは笛吹川です。
 笛吹川には有名な伝説があります。
 笛吹川のほとりに,権三郎という男が母親と二人で暮らしていました。室町時代の初期の南北朝のころの話とされています。
 権三郎と母親は,戦乱に巻き込まれ,敵に追われて都(現在の京都)から逃れてきたとなっています。このころは朝廷が京都の北朝と吉野の南朝に分かれて,戦乱が絶えなかったようですから,その中で父親を失い命からがら遠方まで逃げてきたというような話があっても不思議ではありません。
 権三郎は笛の名手で,毎日笛を吹いては母親を慰めていたとか,村人に請われてそちこちで笛を聞かせたとか伝えられています。
 親子は川のほとりに粗末な小屋を建てて住んでいました。ある年,大雨が降り続き,川は濁流となり,二人の小屋はあっと言う間に押し流されてしまいました。権三郎はやっとの思いで岸にたどりつきましたが,母親の姿は,それっきり,どこにも見ることができませんでした。
 ひとりぼっちになってしまった権三郎は,それから毎日母親の姿を求めて川岸で笛を吹いていました。哀しい笛の音は,人びとの涙を誘うのでした。
 そんなある日,権三郎は川の瀬音に混じって母親の声を聞きました。権三郎は母を呼びながら川に入り,やがて急流に姿を隠してしまいました。
 それからというもの,夜になると川のせせらぎの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり,村人たちはいつしかこの川を笛吹川と呼ぶようになったと伝えられています。
 笛吹権三郎には,もうひとつの言い伝えがあります。権三郎は丸太(または筏)に乗って流れながら笛を吹くのが得意であったというものです。村人たちは,川面に響く笛の音に感嘆しつつ耳を傾けたのでした。
 伝説の土地は山の中ですから,山から切り出した木を筏に組んで,川を流れ下ったりしたはずです。そうしてみると,権三郎は土地のきこりだったのかもしれません。
 ところがある年,大雨が降り,大水となりました。このときも権三郎はいつものように丸太に立って笛を吹いていたのですが,濁流にあおられて水に沈んでしまったのです。村人たちは権三郎の亡骸を引き上げ,懇ろに弔いました。
 こうした伝承の真偽は,例によって分かりませんが,笛吹権三郎の墓が,山梨県笛吹市の長慶寺に実在しているそうです。
 どちらかといえば,筏乗りの権三郎のほうが,民話の香りを蓄えているように思われます。流れ下る筏なり丸太の上で,笛を吹くなどということは,実際には不可能だと思いますが,伝説として聞いていると素直にその情景が浮かんでくるから不思議です。
 都から母親と共に逃れてきた権三郎の話はいわゆる物語として魅力的です。このお話には,母子が都から遠い山間部に逃げて来なければならなかった経緯だとか,若者には姉があって三人で逃げてきたのだが,訳あって姉は自害をしたのだとか,お話はさまざまに膨らんでいきます。
 こうしたお話は,人から人へと伝わるうちに,聞き違えや思い込みばかりでなく,他の伝承が入り混じったり,伝える人の気持ちが添えられたりして,次第に変遷していくもののようです。
 ここに紹介したお話も,いくつもの伝承を学んだ私が,共通する骨格を見いだして整理した上で,読みやすいように表現に工夫をほどこしたりしています。そういう意味では,私も未来への伝承に,責任の一端を負ってしまったのかもしれません。     (浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年4月号に掲載)