【随筆】−「雨乞い」               浪   宏 友


 長い間雨が降らない。ダムの水位が下がって,農業用水にことを欠く。給水制限を余儀なくされる。そんな状態に追い込まれることがあります。からりと晴れ上がった空を見上げて,ため息をついても,どうにもなりません。こんなときには,雨乞いでもしようかと思ってしまいます。
 農耕を主産業としてきた日本には,各地に雨乞いの史跡があったり,雨乞いの伝説が伝わっています。人間の自由にならない天候です。渇ききった田んぼを前に,降ってくれと願うのは自然なことだと思います。
 古来,雨乞いにはいろいろな方法が試みられました。
 一同打ち揃って神社に詣で,神さま,どうか雨を降らせてくださいと祈るのは,気持ちをそのまま現したすがたです。
 尊いところから水をもらってきて,神社に供えたり,水源に撒いたりしたそうで,いわば呼び水方式というところでしょうか。
 山の上に薪を積んで火をたき,鼓や太鼓を打ち鳴らすという雨乞いは,各地で行われたようですが,大騒ぎをして雨の神さまに気づいてもらいたかったのでしょうか。
 水の神さまの住まいとされる場所に,汚いものを捨てて水神さまを怒らせ,怒りの雨を降らせてもらおうという苦肉の策は,神さまの祟りを覚悟してまで,雨が欲しいという気持ちの現れでしょう。
 このようにさまざまな方法で雨乞いをする人びとの奥には,なんとしてでも雨を降らせてもらいたいという切実な気持ちが脈打っています。
 香川県多度郡仲南町に伝わるお話です。
 その年はひどい干ばつで,田畑はおろか草木までもが枯れてしまうほどでした。ちょうどそこに通りかかった旅の僧に,一人の女がかけより,すがるようにして村の窮状を訴えました。女の名は綾といいました。
 旅の僧は綾の訴えを聞くと,大きくうなずいて,雨乞いの踊りをすれば必ず雨が降るであろうと教えます。
 村人たちが集まったところで,旅の僧は自ら芸司となり,綾夫婦の鉦,太鼓にあわせて踊りました。すると,たちまち雨が降ってきたということです。
 その後も干ばつになったとき,綾が旅の僧をまねて踊ると恵みの雨が降ってきました。これを見た村人たちも踊りを覚え,いつしか綾子踊りとして現在に伝わり,昭和51年に国指定重要無形民俗文化財に指定されました。
 佐賀県藤津郡塩田町にある虚空蔵山に,虚空蔵菩薩の像が祭ってあるそうです。ここでは,日照りが続くと人々が虚空蔵山に登ります。皆が山上の祠の前に並んだところで,虚空蔵菩薩の口にみそを塗りつけて,雨を降らせてくださいと祈ります。こうすると,菩薩が喉が渇いて水を飲みたくなり,雨を降らすと考えたようです。それでも雨が降らないときには,菩薩をかついで山を下り,海の中に入れるのだそうですから,虚空蔵菩薩もこれにはまいったのではないでしょうか。
 雨が降らないので雨乞いをしたら,今度は降りすぎて,田畑が流れてしまったという話も処々にあります。
 つくば市のある名家に代々伝わる能面があるそうです。江戸時代,この能面をつけて雨乞いをしたところ,三日三晩雨が降り続き,大水害になってしまいました。それ以後,この能面は雨乞いに使われなくなったと伝えられています。
 気象は,地球上のさまざまな要素が複雑に絡み合って生まれる不思議な現象です。これを人間がコントロールするのは,不可能なことに思われます。人口降雨だとか,人工降雪などの研究が進んでいますが,限界があります。私たちにできることは,そのときそのときの気象に応じて,対応を考えることだけなのかもしれません。(浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年6月号に掲載)