【随筆】−「鏡井戸」               浪   宏 友


 奈良の春日大社には,鹿が1200頭ほどいるそうですが,野生なのだと聞いてびっくりしました。そういえば,国の天然記念物「奈良のシカ」と呼ばれていました。
 春日大社は奈良時代に創建されましたが,そのとき,タケノミカヅチノミコトが鹿嶋から白い鹿に乗って遷座してきました。その白鹿の子孫が現在の奈良の鹿というわけです。
 奈良時代,春日大社創建から間もないころの話です。春日大社の神に仕える雄の鹿が一頭行方不明になりました。そのとき雄鹿を探し回る雌鹿がありました。雌鹿はいつしか現在の宝塚市鹿塩まで来てしまったのです。
 歩き疲れ,喉も乾いた雌鹿は,水を飲もうと井戸のほとりに立ちました。すると,そこに雄鹿がいるではありませんか。雌鹿は喜んで駆け寄りましたが,それは水に映った自分の影だったのです。そうとも知らず,雌鹿は井戸に飛び込んでしまったのでした。
 疲れ果てていた雌鹿は,井戸から出ることができず,そのまま溺れてしまいました。
 そのことを知った村人たちは,深い夫婦愛に打たれて,雌鹿のなきがらを春日大社に届けたということです。そのとき雌鹿が覗いた井戸を鏡井戸と呼ぶようになりました。
 伝承にはしばしば別伝があるものです。このお話にも別の伝承がありました。
 それによると,この土地の雄鹿が春日大社にお使いに出て,帰りに雌鹿を伴ってきたとなっています。その後,雄鹿がちょっと出かけたとき,心細くなった雌鹿が雄鹿を探しまわりました。慣れない土地のことで,雄鹿を見つけることができないまま,井戸のそばにきました。そのとき井戸に映った自分の姿を雄鹿と思って,飛び込んでしまったのです。帰って来た雄鹿は雌鹿の死を悲しみ,井戸を抱くようにして息絶えていたと伝えられています。このお話は,さらに深く夫婦愛を語っているように思われます。
 水鏡で思い出すのは,ギリシャ神話のナルキッソスのお話です。ナルキッソスはナルシスともいいナルシズムの語源になっています。
 大神ゼウスの時代,ナルキッソスという美少年がいました。大勢のニンフ(妖精)たちがナルキッソスを慕いましたが,なかでもエコーは,深く恋をしていました。
 あるとき,ゼウスに命じられたエコーは,ゼウスが恋人と戯れている間,ゼウスの妻ヘラーに話しかけ気をそらそうとしました。ゼウスの策略に気づいたヘラーは,怒ってエコーに罰を与えました。それ以来,エコーは,相手の言葉をそのまま返すことしかできなくなってしまったのです。
 ある日,森でナルキッソスを見かけたエコーは,嬉しさのあまり駆け寄って話しかけようとしましたが,できることはナルキッソスの言葉をそのまま繰り返すことだけです。
 ナルキッソスに馬鹿にされたエコーは,絶望して森に隠れ,身も細り,とうとう声だけになってしまいました。
 一部始終をみていた復讐の女神ネメシスは,ナルキッソスに呪いをかけました。
 狩に疲れたナルキッソスが水を飲もうと泉を覗き込みますと,そこに美しい人がいるではありませんか。心を奪われたナルキッソスが笑いかければ笑い返してくれます。ところが声をかけても答えてくれず,手を差し伸べればたちまち波の向こういなくなってしまうのです。それもそのはず,それは水に映った自分の影だったのです。
 自分の影に恋をしてしまったナルキッソスは,そこから立ち去ることができず,ついにそのまま息絶えて,一輪の水仙になってしまいました。水仙は今でも,水に映った自分の姿をみつめ続けているということです。
 雌鹿も,ナルキッソスも,水に映じた自分自身の姿に惑わされてしまったわけです。水鏡には,不思議な力が潜んでいるのかもしれません。 (浪)

 出典:炭酸検協会報(平成18年10月号に掲載)