【随筆】−「火打ち石」               浪   宏 友


 我が家にも火打ち石がある。白っぽい硬い石と火打ち金でワンセットである。神棚や仏壇のお掃除をしたりお供え物をしたとき、最後に切り火をする。それ以外の用途で使ったのを見たことがないから、子供の頃は火打ち石は神さまのものを清めるために使うものだと思い込んでいた。
 時代劇を見ていると、ご亭主が出かけるときに女房が切り火を切っている。災いのもとを神聖な火で焼き尽くし、亭主の無事を祈る小さな儀式である。今でも、古くからの伝承を大切にする世界では、このような切り火がなされているらしい。
 正月のどんど焼きは、各地で行なわれている。正月飾りに使ったものや、一年の間神棚に飾ってあったものなどを、火で燃やす行事である。尊いものを普通のゴミと一緒にしてはならない。神聖な火で神さまにお返ししようという心が込められている。切り火もどんど焼きも、火を神聖なものと見ている点で同じである。
 火打ち石は、本当は生活用品であった。テレビの時代劇を見ていると、暗い家の中に入った人が、火打ち石を叩いて行灯に火を入れる場面がある。行灯の陰でカチカチと音がして行灯が明るくなる。ほんの数秒である。火打ち石に詳しい人の話を聞くとそれはあまりにも早すぎるらしい。劇だから時間を短縮しているのだという。
 実際にはどれくらいかかるのかというと慣れた人なら30秒もあればできるだろうという。いや、慣れた人でも30秒くらいかかるということだ。テレビドラマで行灯に明かりを入れるだけに30秒も使っているわけにはいかない。やはりここは数秒がいい。
火打ち石で実際に火をつける方法を教わり、やってみた。なるほど、私でも何とか火を起こすことができた。
 私は右利きだから、左手に石を持つ。このとき親指で、石の上に置いた火口(ほくち)を押さえる。右手に火打ち金と言われる鉄を持って、石の角に叩きつけると火花が出る。このとき火の粉が火口(ほくち)に落ちて火が点く。これを大事に大きくしながら、付け木に火を移す。
 火口(ほくち)は、ふわふわとした消し炭みたいなもので、燃えやすくするためにいろいろと工夫がしてある。付け木は薄い木の板の先に硫黄をつけたものでマッチの軸木の大きいものみたいである。
 私の場合、火口にはティッシュペーパーをできるだけ細く割いて、ふわふわっと軽く丸めたものを使い、付け木にはマッチの軸木を利用した。これでなんとか火をつけることができた。
 火打ち石を叩くと何故火花が出るのか。
 理由のひとつは、硬いもの同士を強く打ちつけると衝撃摩擦で高温が発生することである。金槌で釘を何本も打ち込むと、金槌の打撃面があったかくなる。氷を高い所から硬い床に落とすと、割れなくても溶けてしまう。衝撃による摩擦熱が発生するからだという。
 もうひとつの理由は、鉄が石の角で削られて小さな粉になることである。この粉に摩擦熱で火がつく。石の角で鉄を削ぐようにすると、勢い良く火花が出る。鉄が削られやすいからである。石の角が丸くなると火花が出にくくなる。
 火打ち石で火を起こすのは、かなり面倒くさいのではないかと思っていたが、経験してみるとなんとかなる。江戸時代の人にとっては、マッチかライターみたいな感覚だったのかもしれない。
 火打石は、木と木をこすり合わせて火を起こす昔のやりかたに比べればずっと簡単になっているが、マッチやライターに慣れている私たちからみれば、やはり不便な感じがする。
 同じように摩擦熱を利用しているのに、火打ち石とマッチとでは、利便性に大きな差があることを実感する。    (浪)

 出典:清飲検協会報(平成20年 5月号に掲載)