【随筆】−「ホテルとマッチ」               浪   宏 友


 私の手元に溜まっている広告マッチの半分は、ホテルや旅館その他の宿泊施設のものである。小箱マッチ、ブックマッチ合わせて97施設、139個ある。複数回宿泊したビジネスホテルが何カ所かあるから、ホテルの数よりマッチの数のほうが多くなる。
 マッチを眺めていると、思い出す所が多いが、なかにはまったく思い出さないところがある。自分はこのホテルに本当に行ったのだろうか。そもそもこのマッチに印刷されている地方に、何の用件で、いつごろ行ったのだろうか。しかし、自分がポケットに突っ込んできたことは間違いないのだから、行ったことは行ったのであろう。だが、やっぱり分からない。
 ホテルといっても、宿泊したとは限らない。東京都内のホテルマッチがかなりあるけれども、宿泊した所は少ししかない。何かの記念パーティ会場だったり、コンサートの帰りにお茶したところだったり、ときにはラウンジを商談のために頻繁に使っていたところもある。
 東京から長野に出張したとき宿泊した長野市内のホテルのマッチがある。住所を長野に移してからは、同じホテルを食事にばかり使っている。生活が変わったために利用のしかたも変わってしまった。
 ホテルの所在地が千葉県となっているものがかなりあって、ほとんどのホテルに宿泊した覚えがある。東京の勤務先での仕事が終わったあと、研修会の講師として千葉方面に出かけた。プライベートな活動だったが、毎月のように行なわれていた時期がある。研修が終わってから帰宅すると、いわゆる午前様になってしまう。それでは翌日の仕事に差し障りが出るからと、研修会の主催者がホテルを取ってくれる。翌朝、ホテルから出勤する。こんなことが重なって、千葉県内のホテルには、随分ご厄介になった。
 プライベートな活動として繰り返し研修に行ったところがほかにもある。そのひとつが宮崎県の高鍋町である。ここには二ヶ月に一回の割合で数年通った。私自身の自己革新を目的にした活動だったので、往復の飛行機代は自分で持ったが、宿泊所は主催者に提供して貰った。ここではどうやら三つのホテルに宿泊したらしい。
 思い起こせば、ここでのスケジュールは凄まじかった。羽田を朝早く出ると午前中に高鍋に着く。すぐに研修が開始される。昼食をご馳走になっている最中に相談が持ち込まれる。食事しながら数人の相手をしたこともある。午後の研修、夕刻の相談、夜の研修と続いて、22時をたっぷり回ったころようやくホテルに届けてもらえる。部屋に入るなり着替えもせずにベッドに引っくり返り、息を整えてからシャワールームに入るなんてことも何度もあった。この数年間は、私自身を鍛えるために大きな意義があったと振り返ることができる。
 マッチを見て思い出した旅館がある。職場の旅行で若い幹事が選んだ宿泊所だ。宮城県と岩手県の県境にある栗駒山。その近くの谷間にある旅館である。手元のマッチにはランプの絵と共に「ランプの宿」と書いてある。あの宿には確か蛍光灯も白熱灯もなかった。テレビもラジオもなかった。ほの暗いランプの下で大騒ぎをしたと記憶している。夕刻には蛍の淡い光があたりに満ちていた。すぐ手元の草の葉で、蛍のお尻が点滅する様子を見た覚えがある。
 職場の旅行はほとんど忘れてしまったのに、手元にマッチがあったとはいえ、ここの旅館は思い出した。若い幹事のヒット作と言っておきたい。ただ、いつのことだったかはどうしても思い出せない。
 使いもしないマッチを持ち帰って、箱に放り込んでおいた。いつのまにか溜まってしまったので捨てるのも忍びない。そのままにしておいたものが、今頃になって私に懐かしい言葉で語りかけてくる。 (浪)

 出典:清飲検協会報(平成20年11月号に掲載)