【随筆】−「マッチの語りかけ」               浪   宏 友


 私は長野市に住んでいる。いつしか手元に溜まってしまったマッチのうちから、長野市の住所表示があるものを拾ってみた。すると、ホテルのマッチと蕎麦店のマッチが目についた。
 長野駅から歩いて一キロ半ほどで善光寺の参道に入る。長野駅周辺から参道に至るまでの道々にも、何軒もの蕎麦店がある。来客を善光寺に案内したときには、参道付近の蕎麦店に入ることが多い。一人で買い物に出たときなどには、駅前の蕎麦店で昼食を済ませたこともある。そんなこんなでいつのまにやら、多くの蕎麦店にご厄介になっていたらしい。
 こうしてみるとお店でもらった広告マッチは、私の足どりを物語ってしまうようである。そうした目で、手元のマッチを眺めてみるとどうなるだろうか。
 私の足は、沖縄、宮崎、福岡と南のほうに数多く向っていたらしい。宮崎に行くたびに立ち寄った、日本料理店のマッチがある。沖縄の喫茶店のマッチがあるがどんな店だったのか思い出せない。太宰府天満宮でいただいたお守りはどこかへ行ってしまったけれど、太宰府でお茶を飲んだ喫茶店のマッチはここにある。
 北のほうのマッチはどうやら宮城県止まりである。宮城県には親友がいるから、何度か訪れたことがある。友人と共に十和田湖まで足を伸ばしたことがあったが、ついに北海道には渡らなかった。
 東京はさすがにあちこちに行っている。駅中の落ち着かない店、暗いガード下に潜んでいた店、豪華な飾りつけをした店などなど、種類も数もダントツに多い。
 埼玉県、神奈川県の住所が印刷されたマッチもかなりある。このあたりには今も親しい知り合いが多い。あの人たちは元気でやっているだろうか。
 マッチをめくっていたら千葉駅前にあったある店のマッチが目に入った。とっくに閉店した店である。食堂と喫茶店を兼ねたような店で、私たちはここによく集まって勉強会を開いていた。勉強会が終わるとそのままここで食事をした。私はビールなどいただいて電車に乗ったものだ。ところがある日突然店が閉じていた。この店には親しみがあったから、とても寂しい気持ちになったことを覚えている。その喫茶店の緑色のマッチが、そうだったねえとでもいいたげにここにある。私たちの勉強会は近くにあった別の喫茶店で続けられた。そこのマッチも手元に残っている。
 ここばかりではない。親しく通った喫茶店や酒場がいくつも店を閉じていった。職場の近くにあった喫茶店のメルヘンチックなマッチがあるが、ここでは仕事を抜け出しては勝手にコーヒータイムを楽しんだものだ。ところがある日、まったく業種の異なる別の店になってしまっていた。
 お気に入りのバーが新宿にあって、友人とよく飲みに行った。あの店が閉じたのはいつだったのか。小さな黒いマッチが、私の手元でしょんぼりとしている。
 私が一番長くまた数多くお世話になった喫茶店といえば、やはり談話室滝沢であろう。この店のコーヒーは周囲の店より必ず値段が高かった。若いときにはかなりな負担だったが、それでもこの店を愛用していた。広くて静かで上品なたたずまい。ウエートレス、ウエーターの丁寧でメリハリのある客扱い。あらゆる点で好感を覚えた店だった。
 新宿西口にあった店舗では、多くの人と語り合った。原稿につまずいたときには朝から夕方までここで原稿を書き続けたこともある。
 多いときには都内に七カ所の店舗を営んでいた上品な喫茶店だったが、数年前に閉店した。時代の流れというものだろうか。
 談話室滝沢の文字のある紫色のマッチ箱があの日々を思い出させてくれる。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成20年12月号に掲載)