【随筆】−「歯痛」               浪   宏 友


 「痛い 痛い 歯が痛い」
 真夜中に騒いだことが何度もあります。明日は歯医者に行こう、そう思いつつ、いつのまにか眠っています。翌朝になると歯は痛くありません。それでも今日は時間を見つけて歯医者にいくぞ、そう思いながら家を出るのですが、夜になるとまた歯が痛み出します。しまった。歯医者に行きそびれた。そう気づいても後の祭り。忙しさにまぎれて、昨夜のそして今朝の決意をすっかり忘れてしまっていたのです。昼間痛くなればいいのになどと変な言い訳をしながら、また痛い痛いと騒いでいます。これではまるで寒苦鳥ですね。
 寒苦鳥? そうですね、あれは確か古いインドのお話です。
 雪山(「せっせん」と読みます)という夏でも雪の消えない山がありました。たぶん、ヒマラヤのことだと思います。その雪山に、飛ぶことのできない大きな鳥が住んでいました。ダチョウがモデルかもしれません。この鳥を寒苦鳥といいます。一羽だけとも夫婦でとも伝えられています。
 雪山は夜になると冷え込みます。寒苦鳥は寒い寒いと震え上がります。夜が明けたら巣を作ろう。明日になったら巣を作ろうと夜通し鳴き続けるそうです。
 ようやく夜が明けて温かくなると、気持ちが良くてのんびり過ごしてしまいます。一日が終わりまた夜がきますと、寒さに震え上がって、夜が明けたら巣を作ろう、明日になったら巣を作ろうと鳴き続けるのです。
 夜通し歯痛に苦しみながら、昼間になると歯医者に行かない。そんな私の姿はそのまま寒苦鳥ですね。
 歯の痛みは、なんとも辛いものです。ズキンズキンと脈打ち出したりしたらもうたまったものではありません。ところがそれでもお酒は飲みたい。飲むとさらにズキンズキンと痛みが増します。これではますます寒苦鳥です。一口で言えば愚かなのですが、このあたりはなんとも、自分で自分をコントロールできない情けない私です。
 昔のマンガには、歯痛で腫れ上がったほっぺたに氷を当てている絵がありました。痛い歯を抜こうとしてなかなか抜けず、ジタバタするギャグなども見たことがあります。こうしたマンガが受けるのは、多くの人がそんな経験をしているからでしょう。
 私が小さな頃、夜中に歯痛を訴えると、母親が小さな薬ビンを持ってきて、脱脂綿に薬品を染み込ませ、虫歯の穴に詰め込んでくれました。ある程度効き目があったように記憶しています。
 虫歯の穴に詰め込むと痛みが和らぐと伝えられているものがいろいろとあります。
 すりおろしたニンニクや大根。梅干しの果肉。中にはタバコのヤニが良いなどと私には考えられないことを言う人がいました。アロエの葉を噛むと良いという人に出会いました。
 本当に効くかどうかは、私には分かりません。激しい歯痛をやわらげようと、人々は手当たり次第に試してみたのかもしれません。
 指圧に詳しい人が、歯痛を止める壷が手のひらにあると教えてくれましたが、どこが壷だったか忘れてしまいました。
 歯が痛みだしたということは、多くの場合、虫歯を放置したということです。現代では虫歯は、初期の段階なら歯痛など起こさずに治すことができます。そのためには、定期的に歯の健康診断を受診しなければなりません。ところが私は、歯が痛くならなければ、歯医者に行こうなどとは考えませんでした。
 今の私は心を入れ替えて、半年に一回程度、歯の健康診断を受けています。歯医者さんの指導を受けて、しっかり(?)歯磨きをしています。おかげさまで最近は、歯が痛くなることもなくなりました。
 もっと早くから歯医者さんと仲良くしていればよかったなあと、今更ながらつくづく思います。             (浪)

 出典:清飲検協会報(平成21年2月号に掲載)