【随筆】−「歯周病」               浪   宏 友


 昔のことですが、ある日、こんなテレビコマーシャルを見ました。
 「歯にも、ポケットがあるって、知ってました?」
 始めは何のことだかさっぱり分かりませんでした。ポケットがどこにあるのか、だからどうだというのか、まったく理解ができませんでした。歯周ポケットについて知ったのはずっとあとのことでした。
 こんなコマーシャルもありました。
 「歯を磨くと血が出る」
 「リンゴをかじると血が出る」
 私がまさしくそうでしたが、歯ぐきが弱いから仕方がないんだと思っていました。
 「歯にもポケットがある」と「歯ぐきから血が出る」には密接な関係があったのですが、当時は思いもよらないことでした。
 鏡で見ると、歯の根元は歯肉に埋まっています。これがはぐきです。歯肉は白っぽいピンク色をしています。目に見えるのはここまでです。歯肉と歯の境目は小さな溝になっています。これを歯肉溝と言います。歯肉の下には歯槽骨があって、歯は歯槽骨に埋まっています。
 歯が歯槽骨と接しているところでは、歯の表面にセメント質という薄い幕があります。セメント質と歯槽骨は、歯根膜と呼ばれる強靱な繊維でしっかりと結びつけられています。歯根膜の繊維は上質な絨毯の毛のようにびっしりと隙間なく埋まっていて、歯槽骨とセメント質を結びつけると同時に、クッションの役割も果たしています。驚くべき仕組みです。
 歯肉、歯槽骨、歯根膜、セメント質などを歯周組織と言います。
 歯と歯肉の境目の歯肉溝は、健康なときは深くても2ミリメートル程度です。
 歯肉溝に歯垢が溜まると、歯ぐきに炎症を起こします。歯肉炎です。こんな状態になると歯肉溝は深くなってきて、歯周ポケットと呼ばれるようになります。
 歯周ポケットは3ミリ、4ミリと深くなり、放置しておくと6ミリ、7ミリとなることもあります。ここまでくると歯がぐらついて、食べ物を噛めなくなったりします。
 歯周ポケットは、私たちから見れば小さな溝ですが、細菌には広くて深い、繁殖しやすいところです。
 歯周ポケットが歯垢で満たされると、奥のほうが空気から遮断されます。このため酸素が行き渡らなくなります。細菌の中には酸素の無いほうが元気が出るものがあり、嫌気性の細菌と呼ばれています。歯周ポケットの奥のほうでは、嫌気性の細菌が活発に活動を始めます。嫌気性の細菌は毒素が強いそうで、ますます歯周病を重くしてしまうのです。
 歯周病菌や歯周病菌が出す毒素が、歯周組織に入り込もうとします。これに対して身体が防御しようとします。このとき歯ぐきに血が集まり、歯ぐきは赤く腫れます。歯肉炎が進んできたのです。
 歯肉炎を放置しておくと、さらに多くの歯周組織が細菌に破壊され始めます。この段階に入ると歯周炎と呼ばれるそうです。
 こうした状態を放置しておいたがために、歯を磨くと血が出る、リンゴをかじると血が出るという状態になってしまったわけです。ここまできたら一刻も早く歯医者さんに行くべきだったのですが、私はかなり長く放置してしまいました。
 歯周病菌の攻撃に対して、身体の側でも必死の防御反応を起こします。そのせめぎあいの中で歯肉が溶け、ついには歯槽骨まで溶け始めてしまいます。歯槽骨にまで浸入した細菌は、身体の中まで入り込み、肺炎やその他の病気を引き起こすことさえあるという指摘は、私をぞっとさせました。
 歯周病は沈黙の病気と言われているそうですが、りんごをかじると血が出る向こうに、こんな事態が隠れていようとは、私には思いもよらないことでした。      (浪)

 出典:清飲検協会報(平成21年6月号に掲載)