【随筆】−「口の中の宝石」               浪   宏 友


 清涼飲料水は綺麗な色彩をしています。目の前のテーブルに置かれただけで、うれしい気持ちが沸いてきます。
 夏の日など、冷たい飲み物を入れたグラスの表面が、水滴で曇っているのも涼しげです。
 冬の日は、ほんのりと立ち上る湯気が心を温めてくれます。
 見ているだけでも、清涼飲料水は、こんなにも幸せをくれるんですね。
 思えば、私たちはしらずしらずのうちに、五つの感覚を総動員して、清涼飲料水を楽しんでいました。
 含んだ一口。味が口の中に広がります。オレンジの味、ブドウの味、メロンの味、イチゴの味などなど。炭酸飲料でもあれば、小さな気泡がはじけるのでしょう、軽い刺激が口の中をくすぐります。
 飲み物を一口含むと、ほんのりとした香りが鼻をくすぐります。花園の香りにも似て、うっとりとするのはそんなときです。清涼飲料水は香りも楽しみのひとつです。
 味わいといい香りといい、清涼飲料水は、あたかも口の中の宝石だなと思います。
 夏の暑い日、冷えた飲み物が快いですね。これは触覚の楽しみでしょうか。
 夏に冷たいものが欲しいのはいつの時代でも変わりはないようで、江戸時代には、汲み上げたばかりの井戸水に、砂糖や白玉を入れて「ひゃっこい、ひゃっこい」と売り歩いたそうです。
 逆に、暑い夏に熱いものを飲むという風習が江戸にはあったようで、甘酒とか麦湯などの熱い飲み物が売れていたそうです。
 冬の日にはやはり、温かな飲み物が欲しくなります。カップに注がれた飲み物から、淡い湯気が立ち上り、温かな口触りが心をほっとさせてくれます。
 こうして私たちは、飲み物を視覚で味わい味覚で味わい、嗅覚で味わい、触覚で味わっているのです。
 聴覚はないのでしょうか。いえいえ、グラスに注いだときにシュワーっと音がする炭酸飲料があります。飲み込んだときのゴクリという音もいいものです。こうした音も、飲み物を美味しくしてくれる大切な要素です。
 食物の味というものは、味覚だけで決まるものではないという学者の話を聞きました。やはりそうなのですね。
 視覚が感じる見た目の美しさ、嗅覚が感じる良い匂い、触覚が感じる冷たさ温かさや舌触り、聴覚が感じる飲み込む音など、数々の条件が、美味しさを作り出しているようです。
 ところが、五感以外にも、味わいを変えてしまうものがありました。心の状態で、味が変わってしまうことなどしばしばです。
 偉い人の前で緊張しきったりすると、味なんか感じている暇がありません。
 心に心配ごとが溜まっていると、何を飲んでも似たような味になってしまいます。
 逆に嬉しいときには、いつもの飲み物が至上の味になったりします。特別な時の飲み物には、魔法がかかっているようです。
 体の状態でも味は変わるようで、熱っぽくて体がだるいときなどに、美味しいものはありません。
 一方、飲み物のはたらきで、体の調子が良くなったり、心が安らいだりすることがあります。
 仕事で疲れたときなどには、一杯の飲み物で生き返った思いをすることがあります。
 心が沈んでいるときに、そっと出された飲み物の味と香りが、心を優しく慰めてくれることだってあります。
 慌てているときに、まあ座ってお茶でも飲めと言われて、そんな場合じゃないんだけれどなどと言いながら、渋茶をすすっているうちに、心が落ち着いてきたというようなこともありました。
 飲み物と人間との間には、言うに言われぬ不思議な関係があるのですね。   (浪)

 出典:清飲検協会報(平成22年3月号に掲載)