【随筆】*「自然発生説《               浪   宏 友


 西洋では、無生物から生まれる生物があると長い間信じられていたようです。これを生物の自然発生説と言います。紀元前4世紀、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが生物の自然発生説を提唱し、それが長い間信じられてきたとも言われています。
 17世紀頃、生物の自然発生説は下火になりました。ところが、アントニー・レーウェンフック(1632-1723)が顕微鏡を発明し、微生物の存在が発見されると、再び燃え上がってきたようです。顕微鏡サイズの微生物なら、自然発生があるのではないかということだったのでしょう。
 一方には、自然発生説に異議を唱える人々がいて、論争が続いていました。
 自然発生説を主張するイギリスの学僧ジョン・ニーダム(1713-81)は、スープを加熱してビンの中に入れ、コルクで完全に栓をしました。次に、このビンを熱した灰の中で加熱しました。これでスープにいた微生物は死滅したはずです。数日後にこのスープを顕微鏡で観察すると微生物が生じていました。微生物は、スープから自然に発生したのだとニーダムは喜びました。
 イタリアのスパランツァニー(1729-99)はニーダムの実験に疑問を持ちました。
 加熱が上充分だったのではないか?コルク栓では隙間ができるのではないか?
 スパランツァニーはフラスコの中にスープを入れて加熱し、フラスコの口の部分を炎で溶かして密封しました。このフラスコを沸騰している熱湯に1時間ほど漬けました。数日後調べてみると、スープに微生物が発生していません。これによって、自然発生説は否定されたと主張しました。
 しかしニーダムも黙ってはいません。スパランツァニーの実験では、密封して加熱したために、新鮮な空気が熱によって破壊され微生物が生きていけないのだというのです。
 結局二人の論争は平行線をたどり、決着がつきませんでした。
 この話を考えてみると、ただひとつ二人が一致しているところがありました。それは、スープを十分に加熱すると、スープ内の微生物が死滅するということです。
 このことを知ってか知らずか、フランスのニコラ・アペール(1749-1841)は、加熱殺菌法を考え出しました。日本缶詰協会のホームページには「金属缶やガラスびんの中に、食物を入れて密封し、加熱殺菌して保存する缶詰の原理は、今から約200年前の1804年にフランスのニコラ・アペールによって初めて考え出された《とあります。
 さて、ニーダムとスパランツァニーの論争の決着は、二人の死後に登場したルイ・パストゥール(1822-1895)による、有吊な実験まで待たなければなりませんでした。
 パストゥールは、苦心の末、スープを入れたフラスコの首を細く伸ばし、白鳥の首のように曲げました。
 このフラスコでスープを十分に煮沸しますと、微生物は死滅します。このとき水蒸気が外に出て行きます。フラスコが冷めますと、空気が入ってきます。空気と共に流れ込んできた微細なゴミや微生物は、細い首の曲がったところに付着します。こうして空気が自由に行き来するにもかかわらず、微生物がフラスコのスープに入ることがなく、腐敗も起こらないのでした。
 パストゥールは、このほかにも詳細な観察と実験を繰り返し、スープを放置しておくと空気中に存在する微生物がスープに入って代謝活動を行い繁殖することを確かめました。
 こうして、生物の自然発生説を完全に否定すると共に、加熱殺菌の原理を確立することとなったのです。
 現代では当たり前になっている過熱殺菌法ですが、その確立までには、多くの人々の苦心と努力があったことを改めて知ることができました。            (浪)

 出典:清飲検協会報(平成22年7月号に掲載)