【随筆】−「炭酸脱水酵素」               浪   宏 友


 炭酸飲料を口に含んだときに訪れる、あの独特な感触は、どこからくるのでしょうか。
 口の中で小さな泡がはじけることによって、あの感触が生まれるのでしょうか。
 炭酸ガスが圧入されている飲料は、周囲の圧力を下げてもすぐには泡が出てきませんが、何らかのきっかけがあると、盛んに泡を出し始めます。
 口の中は、温度も高いし、複雑な形をしているし、きっかけだらけですから、泡が盛んに出るのは当然なのだろうと思います。しかし、あの感触は発泡だけでもたらされるのでしょうか。
 人間の感じる味は五種類なのだそうで、塩味、酸味、甘味、苦味、うま味といわれています。それぞれの味物質が、口の中にある味蕾(みらい)に受け止められて、それぞれの味を感じます。味蕾は、舌の上や口の内面などに分布しているそうです。
 五つの味には、それぞれの原因物質があるのだそうです。酸味の場合は、原因物質から放出される水素イオンを、味蕾が受け止めて感じるようです。
 炭酸飲料は弱酸性ですから、水素イオンが放出されるはずです。すると、あの感触のもとは、この水素イオンによる酸味だったのでしょうか。酸味と発泡の相乗効果が、あの感触を生んでいるのでしょうか。
 あれこれ考えているときに出合ったのが、炭酸脱水酵素の話でした。
 炭酸ガスと水が混ざると炭酸が生じることは、すでに学んできました。ここに炭酸脱水酵素があると、反応が急速に行なわれることは始めて知りました。炭酸から炭酸ガスが生じるときにも、炭酸脱水酵素が反応を促進するのだそうで、俄然、興味がわいてきました。
 人間の体内では、血液が糖と酸素を細胞に運びます。細胞ではこの糖と酸素を使ってエネルギーを生み出します。このとき二酸化炭素が発生し、細胞外に運び出されます。
 細胞から運び出された二酸化炭素は、すべて、酸素を放出したあとの赤血球に結びついて肺に運ばれ、外界に放出されるのだと、私は思い込んでいました。しかし、話は大分違うようです。
 細胞から運び出された二酸化炭素のうち、赤血球のヘモグロビンに結びついて運ばれるのは20%だったんです。全部ではなかったんですね。
 血漿に溶解して運ばれるのが10%あるそうです。では、残り70%はどうなるのでしょうか。
 実は、炭酸に変えられて血液によって運ばれるというのです。このとき、赤血球が持っている炭酸脱水酵素がはたらいて、速やかに炭酸ガスを炭酸に変えるのだそうです。
 肺に到達した炭酸は、ここで再び二酸化炭素に戻ります。このときも炭酸脱水酵素がはたらいて、現象を促進するようです。こうして肺に運ばれた二酸化炭素は、呼吸によって体外に排出されます。
 こんな話、私は始めて知りました。学んでみると、炭酸脱水酵素は、動物や植物の体内で重要な役割を担っていたのです。
 植物が行なう光合成は、二酸化炭素を原料としているわけですが、このとき、空気中の二酸化炭素を細胞の中に蓄えたり、蓄えたものを再び取り出して、光合成のプロセスに供給したりする際に、炭酸脱水酵素が活躍しているようです。
 ところで、炭酸脱水酵素は、口の中の細胞膜や唾液にも存在するらしいのです。そのため、炭酸飲料を口に入れると、炭酸脱水酵素のはたらきによって急速に炭酸が作られ、強い刺激がもたらされるということのようです。
 これが本当だとすれば、私の知らなかった現象が、私に快さを与えてくれていたわけで、なんとも不思議な感じです。
 してみると、あの感触の主役は炭酸だったのかなと、私は考えています。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成23年5月号に掲載)