【随筆】−「氷」               浪   宏 友


 妻のお供で、近所のスーパーマーケットに、食料品の買い物に行きました。ひとまわりして、妻がレジを済ませている間、そこらをなんとなくうろついていました。
 向こうの方にステンレス外装の大きな箱が置いてあります。買い物客の女性がひとり、この箱を開けてなにやらしています。
 近づいてみますと、それは大きな製氷機で「ご自由にお持ちください」と表示がしてあります。覗いてみましたら、キューブ状の氷がいっぱいでした。冷凍物などを持ち帰るときはこの氷を使ってくださいということのようです。これは助かるなあと、店のサービスに感心しました。
 今では、身の回りに氷があるのが普通になりました。しかし、昔はそうではありませんでした。
 テレビの時代劇で、夏場、地方の大名が江戸の将軍様に、氷を献上するという設定の物語に出合ったことがあります。これは実際にあったことのようです。
 江戸時代の加賀藩が冬場に大量の氷を氷室に蓄えておき、夏になると江戸まで運んだのだそうです。通常10日以上かかるところを、5日ほどで江戸の加賀藩邸に運び入れ、6月1日に将軍に献上した。そんな話でした。加賀から江戸までには、数々の難所があったでしょうし、とりわけ日本海の荒波が打ちつける親不知子不知を通らなければならなかったとしたら、それは大変なことだったでしょう。
 昔は、氷と言えば天然氷しかありませんでした。加賀藩のような氷雪地帯ならいざしらず、江戸の庶民たちは、夏場の氷なんて考えてもみなかったと思います。  明治時代に入って、外国産の天然氷が販売されるようになりました。遠くから船でやってくる氷ですから、途中の目減りも多くて、かなりな高値だっただろうと思います。
 そんななか、中川嘉兵衛という人が、函館五稜郭で切り出した天然氷を京浜市場で売り出し、これがだんだん軌道に乗って、外国産の氷は来なくなったそうです。
 明治30年頃、製氷機で作った氷が販売されるようになり、町に氷販売店も開店して、だんだん庶民の手が届くようになりました。
 私が子どもの頃、氷屋さんに行って、一貫目(3.75kg)くださいというと、氷のブロックを一つくれました。駆け足で家に帰って、これを冷蔵庫に入れました。
 当時の冷蔵庫は、二段になっていて、上に氷を入れ、下で食べ物を冷やしました。
 真夏の午後などに家族が揃うと、ブロックをぶっかいて食べます。夏ならではの団欒のひとときでした。
 ぶっかき氷と言えば、夏の甲子園です。全国高校野球選手権大会が正式名称です。
 夏の甲子園のスタンドで、ぶっかき氷を買うことができます。いえいえ、甲子園でぶっかき氷なんて言ったら怒られます。「かちわり」と言わなければいけません。
 球場近くで寿司屋さんを営む梶本国太郎さんが、かちわりを思いついたのだそうです。
 当初は氷を経木に包んで販売していたそうです。経木は、幅が15cmぐらい、長さが50cmぐらい、薄さが0.2mmぐらいの薄い木の板です。これを三角に袋状に折って、かちわりを入れて渡したんでしょうが、これではしずくが垂れてきてしまいます。これはなんとかしたかったでしょうね。いろいろと工夫してみたけれど、うまくいかないという日々が過ぎたのではないでしょうか。
 ある日、金魚すくいをして帰ってきた息子さんが、金魚の入ったビニール袋を持っていました。「これだっ!」と閃いた国太郎さんは、金魚のビニール袋にかちわりを入れ、ストローをつけて販売しました。昭和32年のことだったそうです。
 甲子園名物かちわりにも、隠れた苦労話があったんですね。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成23年7月号に掲載)