【随筆】−「醍醐味」               浪   宏 友


 テレビのスポーツ番組にチャンネルを合わせます。プレイヤーたちが、フェアプレイの中で全力を尽くしています。素晴らしい展開に魅了されて、もう勝ち負けなんかどっちでもよくなります。ゲームが終わってからも、しばらくは余韻に浸っています。まさしく醍醐味(だいごみ)を味わったという心境です。
 ところで「醍醐」とは何なのでしょうか。手持ちの『国語中辞典』に次のようにありました。「牛乳の精製の最高段階でできる食べ物。現在のチーズにあたるようなもので薬用にもした。最高の味とされ、涅槃や仏の教法のたとえとする。」
 調べてみますと、仏教の涅槃経というお経にこんな一節がありました。
 「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(しょうそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す。醍醐は最上なり。もし服する者あらば衆病皆除く。」
 乳・酪・生酥・熟酥・醍醐を五つの味、五味と言います。五味の中では、醍醐が最高であると言っています。このあとに、仏の教えにも五つの段階があるという経文が続きます。
 仏教関係の辞典を見ますと「酪」は「しぼりたての乳を少し発酵させて飲みやすくしたもの」でヨーグルトのようなものだそうです。「生酥」は「新鮮な作りたてのバター」なのだそうです。バターには、発酵バターと無発酵バターがあるそうですが、酪から作る生酥は、発酵バターだったのかもしれません。
 熟酥は、この辞典では「生酥を精製してつくる」となっているだけです。醍醐は「精製した乳製品で味の最高とされる」とあるだけです。内容は分かりません。とにかく何段階も手を加えて、美味しいものに仕立て上げたんだろうなと想像するほかありません。
 涅槃経はおそらく1600年ほど前にインドで編纂されたであろうと考えられています。当時のインドには牛乳を素材にした独特の食文化があったのかもしれません。その後中国語に翻訳されますが、食文化の異なる中国で、この一節がどのように理解されたでしょうか。また、日本に伝わってきたときには、どのようなものとして受け取られたのでしょうか。  そういえば、京都に醍醐寺がありました。古都京都の文化財のひとつとして世界遺産になっていたと思います。
 平安時代の貞観16年(874年)、理源大師は都のそばにある山を訪れました。そこに土地の神である横尾明神が老人に化身して現れました。老人は理源大師に、この地を足場に人々を救ってくださいと声をかけると、足元の落ち葉をかきわけて湧き水を汲み「ああ醍醐味なるかな」と言って姿を消しました。理源大師はここにお堂を建てました。これが醍醐寺の始まりだそうです。理源大師は、この湧き水を仏さまにお給仕をする水として使いました。現在も醍醐水として、醍醐寺を参拝する人々に尊ばれているそうです。  別伝では、湧き水を飲んで「醍醐味なるかな」と言ったのは理源大師自身だったとなっています。理源大師は弘法大師の孫弟子で、修験道中興の祖とされているそうです。
 醍醐寺は、醍醐天皇が薬師堂を建立したり、後醍醐天皇やそのほかの天皇とも深い関係があるお寺だそうです。
 平成21年は理源大師の一千百年御遠忌でした。このとき僧侶たちが醍醐水をペットボトルに入れて参拝者たちに配りましたら、これが大きな反響を呼び販売してほしいと切望されました。これを受けて販売に踏み切ったそうです。水の量が限られているため、様子をみながら販売しているとのことでした。
 平成23年の東日本大震災の折には、多くのミネラルウォーターが水不足に悩む被災地に届けられましたが、醍醐水もまた送り出されました。人々から尊ばれている湧き水が、被災した方々の喉を潤したというのもいい話だなあと思いました。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成24年2月号に掲載)