【随筆】−「黒髪山」               浪   宏 友


 第十一代垂仁天皇の異母兄弟だった佐保彦は、垂仁天皇を廃して自分が国を治めようとしたのですが、はかりごとは破れ、天皇に攻められる身となりました。佐保彦の妹で垂仁天皇の后であった佐保姫は、夫を捨てて兄の砦に逃げ込みました。
 兄の砦で佐保姫は、垂仁天皇の御子を出産しました。佐保姫が御子を天皇の兵士に渡すとき、天皇から命を受けていた兵士が、佐保姫を砦から引きずりだそうとして髪に手をかけたのですが、髪が落ちて捕まえることができませんでした。佐保姫は髪を切り落とし、それを頭に乗せていたのです。
 垂仁天皇は佐保姫をあきらめ、佐保彦の砦を攻め、火を放ちました。佐保彦と佐保姫は炎のなかで短い生涯を閉じました。
 ここから先は、私の想像です。
 佐保彦を征伐し、ようやく怒りも静まった垂仁天皇の手元には、佐保姫が産んだ御子と、佐保姫の黒髪が残りました。
 佐保姫との日々を思い出しながら悲しみにくれる天皇でしたが、ようやく心を定めて家臣に命じ、佐保姫の黒髪を北方の山の中に埋めさせました。北の方角はものを蔵しておくところです。天皇は佐保姫の思い出を静かにしまって置きたかったにちがいありません。
 黒髪を埋めたところには小さな社が建てられ、やがて人々はこの山を黒髪山と呼ぶようになりました。奈良市に黒髪山稲荷神社があります。佐保姫の黒髪を埋めた場所だと言われているそうです。
 佐保姫自身が、黒髪を山の中に埋めたという説話もあります。しかし、女の命と言われる黒髪を自ら切り落とした佐保姫です。兄の佐保彦と共に、砦で最後を迎えたにちがいありません。
 佐賀県にも黒髪山がありました。ここには、鎮西八郎為朝が大蛇退治をしたという伝説があります。為朝は平安時代末期の人で、源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる武将です。
 現在の佐賀県有田町、当時の有田郷の白川の池に、大蛇が住みついていました。黒髪山のふもとに有田ダムがありますが、白川の池はこのあたりにあったようです。
 この大蛇は、黒髪山に七回り半も巻きつくというのですから、途方もない大きさです。
 大蛇はしばしば住民たちを襲い、田畑を荒らしました。住民たちの訴えを聞いた領主は大蛇退治に出かけることにしました。
 このとき九州にいた為朝は、朝廷の命令で領主に同行することとなりました。
 大蛇は神出鬼没です。なんとかおびき出さなければ退治できません。どうしようかと相談しているところに入ってきたのは、万寿姫でした。万寿姫は自らおとりになることを申し出ます。そのかわり、没落した一族を再興してもらいたいとの願いでした。
 白川の池のほとりに着飾った万寿姫が座り、為朝と領主そして二人の率いる軍勢が、周囲に潜みます。
 やがて池の水が波立ち、たちまち渦を巻き、巨大な大蛇が現れました。大蛇は大きな鎌首をもたげ、万寿姫に向かって襲いかかります。そのとき為朝の強弓から鏑矢(かぶらや)が放たれ、大蛇の目を貫きました。おどろく大蛇に今度は領主が矢を放つと、見事に眉間を射抜きました。のたうつ大蛇を軍勢が攻めたて大蛇はたまらず谷底へと落ちていきました。
 これで結着かと思いましたら、意外な話が続いていました。
 ちょうどそのとき、一人の盲目の僧が谷底を歩いていたというのです。僧は異様な気配を感じ、短刀を取り出すと大蛇にとどめをさしました。
 自らおとりになった万寿姫も無事でした。万寿姫の一族はその後再興されたと伝えられています。
 黒髪山の名前のいわれは分かりませんでしたが、ドラマチックな伝説に出会うことができました。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成24年7月号に掲載)