【随筆】−「かもじ・かつらの祖」               浪   宏 友


 「これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふさかの関」
 百人一首をなさった方なら、すぐにお分かりになると思います。蝉丸の歌です。
 蝉丸という人物は、百人一首ばかりでなく、今昔物語にも登場しますし、「蝉丸」と題する謡曲もあります。しかし、実在したのかさえ分からない謎の人物なのだそうです。
 この蝉丸に意外なところで遭遇しました。東京の王子にある王子神社境内です。
 王子神社は、鎌倉時代に創建された古社だといいますから、今から七百年ほども前のことになります。
 祀られている神様は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、ここには、蝉丸の影はありません。
 王子神社の境内に、関神社があります。こちらに祀られているのが、蝉丸、逆髪(さかがみ)、古屋美女(ふるやびじょ)です。滋賀県大津の逢坂山に関蝉丸神社として祀られているのを、江戸時代ここに奉斉したと、由緒略記にあります。
 謡曲「蝉丸」によれば、蝉丸は醍醐天皇の第四子ですが、生まれながらの盲目でした。醍醐天皇の命によって、逢坂山に連れて行かれ、髪を下ろし、僧の衣に着替えさせられ、一人残されます。蝉丸は、琵琶を抱きながらなすすべもなく泣いています。
 そこに源博雅が現れて、小屋を作り、蝉丸を導き入れ、立ち去ります。
 そのあとに、逆髪が現れます。逆髪は、醍醐天皇の第三子だといいますから、蝉丸の姉にあたるわけです。髪の毛が空に向かって逆さまに生えているので、逆髪と呼ばれているのです。
 逆髪は狂女です。花の都を立ち出でてとありますから、天皇の館からさまよい出て歩き回っているのでしょう。謡の中に、逆髪は狂女だけれども心は清らかだとあります。
 逆髪が小屋に近づきますと、中から蝉丸が奏する琵琶の音が聞こえます。粗末な小屋から、美しい琵琶の音が聞こえるのを不思議に思った逆髪が小屋に近づきますと、人の気配を感じた蝉丸が出てきます。そこで姉と弟が再会するのです。
 謡曲ではこのあと二人が懐かしく語り合い、蝉丸が引き止めるのを振り切って、逆髪が立ち去るということになります。
 一方、関神社の由緒略記では、逆髪のために古屋美女に命じて、かもじ・かつらを考案し髪を整える工夫をしたとあります。このとき、古屋美女の髪を用いたという伝承もありました。
 髪が逆さまになっているために、童子にまで笑われ、辛い思いを重ねてきた姉を、蝉丸の熱意が救ったのでありましょう。
 こうして、蝉丸は、かもじ・かつらの祖となったのです。
 古屋美女がどういう人物かまったく分かりませんが「命じて」とありますから、蝉丸のもとで立ちはたらいていた女性なのでありましょう。
 関神社は戦災で消失しましたが、全国各地で髪にかかわる仕事をしている人々の浄財で、昭和34年に再建されました。
 現代の女性たちは、ウイッグとかエクステンションとかを日常的に用いているそうです。
 ウイッグはかつらで、エクステンションはつけ毛のことだなどと翻訳して覚えましたが、ウイッグなのか、エクステンションなのか、区別の難しいものもありました。
 江戸時代は、エクステンションの仲間のほうが多かったようです。女性ばかりでなく、髪が短くなったお侍さんが、まげを結うために髪を足すなどしたのだとか。
 時代が変わっても、変わらないものが、ここにもあったのだなあと思いました。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成24年8月号に掲載)