【随筆】−「貧女の一灯」               浪   宏 友


 東京の王子駅のすぐそばに、王子神社があります。その境内に関神社があります。かもじ・かつらの祖とされる蝉丸、その姉である逆髪、侍女の古屋美女を祭っています。日本全国の、毛髪を扱う仕事をしている人々の寄進で建てられた神社です。
 脇に建つ「毛塚」の由来の中で、「貧女の一灯」の故事が簡略に紹介されています。詳しくは、次のような物語です。
 昔、インドのマガダ国に、アジャセ(阿闍世)という王さまがいました。アジャセ王はたいそうお釈迦さまを尊敬していました。
 あるとき、アジャセ王はお釈迦さまをご招待してお食事を供養申し上げました。しかし、お食事が終わってお釈迦さまがお帰りになってからも、まだ供養が足りないように感じられてしかたがありません。王がその気持ちを家臣に告げますと、それなら灯火をささげて供養なさってはいかがですかと提案がありました。王さまは、さっそく、お城の門からお釈迦さまの精舎までの道すじに灯火を並べて、供養申し上げることにしました。
 その話は町中に広がり、お釈迦さまをお慕いする人々が、自分にも供養させていただきたいと油を持ってきます。お役人は、道の両側に並べられた皿に人々の油を注ぎました。
 この町に貧しい少女がいました。少女はまごころからお釈迦さまに帰依していました。少女は思いました。自分も灯火を供養させていただきたい。
 明日の食べ物を手に入れるのもやっとという少女には、油を買うお金がありません。しかし、この機会を逃したら、もう、お釈迦さまを供養することはできないかもしれません。いてもたってもいられなくなった少女は、町のかもじ屋に駆け込みました。
 少女のたったひとつの財産はその美しい髪でした。かもじ屋は以前から少女に髪を売ってくれないかと声をかけていたのですが、少女は笑って取り合いませんでした。かもじ屋もすっかりあきらめていました。そんな少女が、息せき切って飛び込んできたのですから、かもじ屋は驚きました。
 わけを聞いたかもじ屋は、髪を倍の値段で買いました。髪が短くなった少女はお金を握りしめて油屋に走りました。
 油屋の主人は少女に「油を買うより、食べ物を買いなさい」と勧めます。しかし少女は答えました。「いえ、いえ、私はいつも、仏さまには百劫に一度しかお会いできないと聞いてます。それなのに、仏さまとご一緒の世に生れることができました。ですから、なんとかして供養申し上げたいのです」。
 この言葉に感動した油屋の主人は、油をおまけしてあげました。少女は喜んで精舎にお参りし、お役人に油を渡します。お役人もわけを知って、高いところに残っていた皿に少女の油を注いであげました。
 日が暮れて油に火が入りました。アジャセ王の城からお釈迦さまの精舎まで、光の道ができました。人々はその美しさに一晩中うっとりとしていました。
 夜明けが近づき、灯火はだんだん消えていきました。お釈迦さまは目連(もくれん)に、残った灯火を消しなさいとおっしゃいました。目連は灯火を消してまわりました。ところが、ひとつだけ消えない灯火がありました。消しても、消しても、また火がつくのです。それどころかますます明るくなるのです。目連は神通力を用いて大風をおこしました。すると灯火はさらに大きく燃え上がり、大光明を発して世界中を照らしだしたのです。
 お釈迦さまは目連に「もうやめなさい。この灯火を捧げた少女は、のちに仏さまとなって、世の中を明るく照らすでしょう」とおっしゃいました。
 関神社の「毛塚の由来」の一節に「貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと共に、毛髪最古の歴史なりと永く言い伝えられる由縁である」とあります。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成25年3月号に掲載)