【随筆】−「宮子姫伝説」               浪   宏 友


 和歌山県御坊市に、宮子姫(かみなが姫)の伝説があり、毎年、宮子姫にまつわるお祭りが催されています。
 今から1300年ほど前のことです。九海士(くあま)の浦に漁師夫婦がおりました。夫婦は長い間子宝に恵まれず、近くの八幡さまに、どうか子どもが授かりますようにとお願いを続けておりました。
 願いが通じて、夫婦の間に女の子が生まれました。ところがどういうわけか、この子には髪の毛が一本もありませんでした。
 夫婦は娘を大事に育て、娘ははすくすくと成長しました。しかし髪の毛だけは、いくつになっても生えてきません。八幡さまにもお願いするのですが、御利益をいただけません。このまま髪の毛は生えないのかと、夫婦は心配でたまりませんでした。
 ある年、九海士の浦では、不漁の日々が続きました。網を入れても何も掛かりません。海にもぐっても、魚一匹見当たりません。こんなことは初めてです。
 やがて人々は、海の底から光が射し昇っているのに気付きました。人々は、不漁の原因はあの光ではないかと思い始めました。光の正体を確かめなければならないと話し合いましたが、恐ろしがって、確かめに行こうとする者がおりません。
 そのとき、娘の母が、人々の役に立てば娘に髪が生えるかもしれないと、自ら役目を引き受けました。
 夫の漕ぐ小舟で沖に出た娘の母は、光の主を求めて海に入りました。光を辿っていくと、海底の岩と岩の間に、輝くものがあります。見定めようとさらにもぐるうちに、意識が朦朧としてきました。
 いつまでたっても浮かび上がってこない妻を心配して、夫は自分も海にもぐり、探しました。しかし、どうしても見つかりません。夫は、悲しみにくれながら小舟を漕ぎ海岸に戻りました。
 海岸に着くと、向こうから娘が手を振って呼んでいます。駆け寄ってみれば、妻が砂浜で人々に介抱されていました。妻の右手には、金色の光を放つ観音像がしっかりと握られていました。
 このときから光が消えて漁がもとに戻りました。漁師たちは夫婦に心から感謝しました。
 夫婦は小さなお堂を作り、観音像を祀って毎日拝みました。そして、娘の髪の毛が生えてくるようにと、熱心にお願いしました。
 しばらくして、娘に髪の毛が生え始めました。それどころか、豊かで美しい髪が、長く長く伸びました。それにつれて、娘もますます美しくなり、いつしか人々から「かみなが姫」と呼ばれるようになりました。
 ある日、娘が髪に櫛を入れていました。長い髪がいく筋か抜けおち、一羽の燕がこれをくわえて飛び去りました。
 当時、奈良の都では、天武天皇(てんむてんのう)にお仕えする藤原不比等(ふじわらのふひと)が、大きな勢力を誇っていました。
 ある日、不比等は、館の軒下にある燕の巣から長い髪が垂れているのを見つけました。その髪があまりにも美しいので、その持ち主を知りたいと思い八方を探させますと、九海士の浦に住む娘が髪の持ち主であることが分かりました。不比等は、すぐに迎えを出しました。
 あまりのことに、父母も娘もびっくりするやら戸惑うやらでしたが、娘は、不比等の差し向けた乗り物に乗って館に入りました。
 不比等は娘がすっかり気に入って、宮子と名付け養女としました。
 宮子姫は、文武天皇(もんむてんのう)の夫人となり、聖武天皇(しょうむてんのう)の生母となりました。
 文武天皇は、宮子姫の願いにより、九海士の浦近くに道成寺を建立しました。このお寺を舞台に、有名な安珍清姫伝説が生れるのはこのずっと後のことです。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成25年7月号に掲載)