【随筆】−「珠取り海女」               浪   宏 友


 四国八十八カ所の八十六番目が、補陀洛山清浄光院志度寺です。このお寺の境内に、海女の墓と称される古びた石塔があります。海女の名は玉藻と伝えられています。
 志度の娘たちは、たいてい海女になりました。なかでも玉藻は誰よりも深く、誰よりも長く海に潜ることができました。
 志度の海で、大きな事件が起きました。唐から宝物を積んで都に向かっていた船が沖合で竜神に襲われ大事な珠を奪われたのです。浜は大騒ぎになりましたが、竜神から珠を取り返すことなどできようはずもなく、まもなく静けさを取り戻しました。
 ある日、浜に一人の若者が現れました。見目もよく品があり、浜の男どものような荒々しさがありません。若者は、浜に小屋を建て下手な漁をして細々と生活をしていました。
 浜の娘たちは、よるとさわると若者の噂です。積極的な娘たちが、繰り返し若者に誘いをかけましたが、相手にしてもらえませんでした。玉藻ももちろん気がかりですが、はしたないことはできません。
 いくら誘いをかけても振り向いてもらえない娘たちは、いつしか若者から離れていきました。その中で、玉藻だけは、密かに思いを募らせていたのです。
 ある日、玉藻は、若者から声をかけられました。その日から二人は行動を共にするようになりました。両親を納得させて、若者の小屋で暮らし始めました。やがて男の子が生まれ、房前(ふさざき)と名付けられました。
 あるとき玉藻は、夫から、自分は藤原不比等だと打ち明けられました。都で天皇の寵愛を受ける地位の高い権力者だったのです。不比等は、竜神に奪われた宝の珠を取り返しに来ていたのでした。それほど重大ないわれのある珠だったのです。
 珠は水底深い龍宮の塔の先端で輝いているのです。しかし、不比等には取りに行くことができません。
 不比等は玉藻に言いました。お前なら、あそこまでいける。どうか、珠を取り返してきてはくれまいか。
 玉藻は一瞬考えましたが、大きくうなずきました。ただひとつ、お願いがあると言いました。それは、わが子房前を都に連れていってもらいたいということでした。
 玉藻と不比等を乗せた船が、浜の屈強な男たちに操られ、龍宮の真上に着きました。玉藻は腰に長い縄を結び、その端を不比等に預け、短剣を携えて海に飛び込みました。遠い水底に塔があり、その先端に宝の珠が光っています。玉藻は短剣を口にくわえ、志度の観世音を念じながら塔をめがけて進みました。
 そのとき短剣から七色の光が発せられました。塔を守っていた鮫や竜たちが飛びすさりました。塔に向かってまっすぐな道ができました。玉藻はためらうことなく塔に泳ぎ着き珠を取って、海面に向かいました。
 竜神たちは、慌てて玉藻を追いかけます。玉藻はすぐ後ろに迫る追っ手に、逃げ切れないと感じました。とっさに玉藻は短剣で我が乳房を切り裂き、その傷に珠を押し込みました。腰の綱を思い切り引っ張りますと、合図を受けた船の上では、不比等をはじめ男たちが綱を引きました。海中では乳房から迸った血に驚いて竜神たちが混乱しています。その間に、玉藻は船に引き上げられました。
 玉藻は不比等の手を取って、乳房の傷に導きます。不比等は乳房の下から珠を取り出し玉藻に見せます。玉藻はかすかに微笑んで、息を引き取りました。
 玉藻の亡骸は、玉藻を助けた観音さまが祀られている志度のお寺に葬られました。
 不比等は約束通りに房前を連れ、珠を持って都に帰りました。房前は長じてから志度を訪れ、塔を建てて母に感謝を捧げたということです。
 この物語は、古くに成立した能楽「海士」の玉の段にも語られています。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成25年8月号に掲載)