【随筆】−「八百比丘尼」               浪   宏 友


 かつて私は、福井県小浜市に、毎月のように訪れた時期があります。そのとき、マーメイドの像に出会いました。ずいぶん以前のことですのではっきりしませんが、河口近くにかかる橋の両端に、たぶん親柱の上だったと思いますが、一体ずつ置かれていたように思います。現在は、海岸にマーメイドテラスが作られて、親柱からおろされた像が、二体並んで置かれているようです。
 この地には人魚にまつわる不思議な物語が語り継がれています。マーメイドは、その物語にちなんで造られたのだろうと思います。
 むかし、若狭の国のある村に、高橋という長者がおりました。
 この村に、素性の知れない男が住み着きました。その男は得体のしれないところがあって、村人たちはあまり近寄りませんでした。
 その男が、長者をはじめ村の主だった者を食事に招きました。長者たちは、はじめて入る屋敷のつくりに興味を掻き立てられて、物珍しげに中を見てまわりました。
 たまたま台所を覗いたとき、みんな、はっとしました。大きなまな板の上に奇妙な生き物が乗っていたからです。それは大きな魚のようにも見えました。人間の子供のようにも見えました。まな板の周りでは包丁を持った料理人たちが何やら相談をしていました。長者たちはなんだか気味が悪くなりました。
 やがてご馳走が運ばれてきました。珍しいものばかりで味もなかなかでした。
 そのうち肉の料理が運ばれてきました。竜宮みやげの人魚の肉で、これを食べると長生きできるという触れ込みでした。
 長者たちは箸をつけることができずに、そそくさと帰り始めました。すると男は肉料理を包み、無理やり長者たちに持たせました。みんな気味悪がって、途中で海に捨ててしまいました。
 高橋長者も捨てようと思いましたが、捨てそびれてしまい、屋敷に帰ると棚の中に仕舞いました。後で捨てるつもりでした。
 高橋長者には十六歳になる娘がいました。外から帰ってきた娘は、よほどお腹が空いていたらしく、食べ物を捜しました。棚を開けると肉料理がありました。娘は、全部食べてしまいました。
 これを知った長者は驚きましたが、これといって何も起きないので一安心しました。
 ほどなく娘は隣村の長者の息子を婿に迎えました。二人の間に子はできませんでしたが仲睦まじく暮らしました。
 ところが不思議なことが起きたのです。娘は年を取らないのです。両親を見送り、婿も寿命を全うしました。しかし、娘は十六歳のままでした。娘は新しい婿を取りました。この婿も年を取って亡くなりましたが、娘は十六歳のままでした。
 ある日、娘は財産を村人たちに分け与えて村を出ました。見知らぬ土地で仏の道に入りました。比丘尼となった娘は、修業を経て各地を歩き回りました。
 やがて比丘尼は生まれ故郷の若狭に帰り、村人たちに言いました。自分は岩穴に入るから、入り口を大きな岩で塞いでください。目印のために、入り口に椿を植えてください。私は中で禅定に入り、鈴を鳴らし続けます。鈴の音が止んだら、私が死んだと思ってください。
 村人たちは岩穴の前を通るとき、鈴の音を耳にすると、比丘尼さんが禅定に入っているなあと思いました。代が変わり、また代が変わり、また代が変わっても、鈴の音は変わらずに鳴り続けました。
 ある日、岩穴の前を通った村人が、鈴の音が聞こえないことに気づきました。比丘尼さんが入寂したんだなあと人々は語り合いました。あれから、八百年ほど経っていました。
 福井県小浜市の空印寺の奥に、八百比丘尼入定の地と言われる岩屋があり、季節になると椿が花を咲かせます。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成25年11月号に掲載)