【随筆】−「海坊主」               浪   宏 友


 子供の頃に読んだ航海ものの冒険談に、よく海坊主が出てきました。海面から突然モンスターが立ち上がって、船を襲うというものでした。どこまでも広く、どこまでも深い海ですから、船の何倍もあるようなモンスターが出てきても、子供心にはなんの不思議もありませんでした。
 物語の主人公が乗船している船の舳先に、突如巨大な海坊主が現れて襲いかかります。海坊主の姿は巨大な蛸のようです。人々は船の中を逃げまどいます。大きな船が海坊主に軽々と持ち上げられ、海面に叩きつけられ、ばらばらに壊れてしまいます。かろうじて命を取り留めた主人公は、木切れにつかまり、漂流してどこかで救われるのです。
 海坊主そのものが実際にいたとは思えませんが、海洋に起きる何らかの現象が海坊主として伝えられているのかもしれません。
 外洋では、高さが30メートルにもなる大波が実際に起こることがあるそうです。こんなに大きな波に襲われたら、船が一飲みにされても不思議ではありません。これは巨大な海坊主の候補かもしれません。
 特殊な地形の海岸線では、別々に起きた波と波が海流や風の関係で重なり合って、三角大波が起こることがあるそうです。三角大波の特徴は、波の先端がとがっていることで、この先端に船が乗ってしまったら、横倒しになって転覆してしまうこともあるそうです。これも海坊主の候補のひとつです。
 タイタニック号は氷山に衝突して沈没したそうですが、巨大な氷山が突然現れたら、海坊主に見えるかもしれません。
 円盤形の体をしたマンボウという魚がいます。海をのんびりと漂っている魚で、大きいものでは、体長が3メートルにもなるそうです。このマンボウが、水面から大きくジャンプすることがあるそうで、そのときの姿が海坊主にそっくりなのだそうです。
 昔の日本の海に現れた海坊主は、漁船を見ると、しきりに柄杓を欲しがりました。漁船は、船底に溜まった海水を掻い出すために、必ず柄杓を備えていたのです。
 柄杓を欲しがる海坊主に、柄杓を渡さずに逃げようとすると、どこまでもどこまでも追いかけてきて船を壊すのです。
 仕方がないので、柄杓を渡すと、今度は柄杓で海水を船に汲み入れ始めます。一人の海坊主に、柄杓を一本渡しただけなのですが、いつのまにか大勢の海坊主が、手に手に柄杓を持って、海水を漁船に汲み入れます。これでは、たまったものではありません。船はたちまち沈没し、漁師たちは海に投げ出されます。実に不気味な海坊主です。
 漁師たちは考えました。海坊主が現れて柄杓を欲しがったとき、柄杓の底を抜いてから渡すようにしました。こうしておけば海坊主がどれだけ増えようと、柄杓が何百本になろうと、漁船は無事だからです。
 中にはユーモラスは海坊主もいました。
 ある入り江で、漁船が海坊主に追いかけられたときのことです。漁師たちは、海坊主から逃げ切れないと思い、逆襲に転じました。櫓や竹ざおで海坊主を叩きはじめたのです。すると海坊主が驚いて立ち往生しました。そこへ仲間の漁船が何艘もやってきて海坊主を取り囲み、櫓や竹ざおを振り回しました。周りをすっかり取り囲まれ、逃げ場を失った海坊主は、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り始めましたので、漁師たちは叩くの止めました。海坊主は言いました。私はこの入り江に住む海坊主です。もう悪さはしませんから許してください。そのかわり海が荒れるときは前触れの波を起こしてお教えします。
 その後この入り江では、海が荒れる前に必ず前ぶれの波が起こるので、漁師たちはとても助かったということです。
 恐ろしい海坊主から、愉快な海坊主まで、どこからどこまでが本当なのか、興味の尽きない話題です。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成25年12月号に掲載)