【随筆】−「お弁・藤吉」               浪   宏 友


 むかし、柏崎に藤吉という船大工がいました。恋女房との間に子供も授かり、幸せな毎日を送っていました。
 ある日、親方から、佐渡の小木へ行くからついてこいと言われました。船の修理に行くのです。これを手始めに、藤吉はちょくちょく小木に行くようになりました。
 小木に行けば、どうしても泊まりになります。藤吉の泊まる船宿は決まっていましたから、自然に、家族のようなつきあいになっていきました。
 この船宿にお弁という娘がいて、藤吉が好きになってしまいました。柏崎に女房子供がいることは分かっていましたが、気持ちを押さえきれません。ある夜とうとう、藤吉の寝所に忍び入ってしまったのです。それ以来、藤吉が小木を訪れるたびに、二人はねんごろを重ねました。
 そんなことを知ってか知らずか、親方は藤吉ではない、ほかの船大工を連れて小木に行くようになりました。
 お弁が親方に藤吉の消息を聞きますと、柏崎でまじめに働いているとのこと。どうして小木に来ないのかと問えば、今は柏崎でしっかり修行をさせたいのだと言います。
 ある夜、海岸に出たお弁は、柏崎の明かりを眺めていました。あの明かりのどれかが、藤吉さんの家の明かりなんだと思うと全身に悲しみがこみ上げてきます。夜が更けるにつれて、ひとつ、ふたつと明かりが消えていきます。そして、とうとう、最後のひとつが残りました。あの明かりが消えたら帰ろう。そう思って見ていましたが、いつまでたっても明かりは消えません。とうとう、夜が明けてしまったのです。
 お弁が、船大工の一人に、消えない明かりのことをそっと尋ねますと、番神岬の常夜灯だというのです。船が遭難しないように、夕方から明け方まで、ずっと灯し続けていることが分かりました。
 そのとき、お弁は思いました。あの光を目指していけば、迷うことなく柏崎に行ける。心を決めたお弁は、お人好しの船大工に藤吉の家を教えてもらいました。
 日が暮れると、お弁はたらい舟を漕ぎ出しました。毎年春から初夏にかけて磯ねぎ漁でたらい舟を操っているお弁でしたから、まっすぐに番神岬に向かうのはたやすいことでした。遠い海も、藤吉を思えば一漕ぎでした。
 番神岬についたお弁は藤吉の家を探しあてそっと藤吉を呼びました。藤吉はお弁の姿に驚きました。二人は思わず抱き合いました。
 番神岬でときを過ごした後、明日はここで待っていてと言い残して、お弁は再びたらい舟で佐渡に帰るのでした。
 それから毎晩、お弁は番神岬に向かいました。藤吉は岬で待ちました。こうした夜が続くうちに、藤吉は恐ろしくなってきました。小木と柏崎をたらい舟で行き来するお弁が、もののけのように思えてきたのです。それに毎晩のように家を開ける藤吉に、女房も不審な目を向けるようになっていました。
 その夜も藤吉は、番神岬でお弁を待っていました。暗い海を眺めるうちに、にわかに恐ろしさがこみあげて、番神岬の明かりを消してしまいました。
 番神岬の明かりを目当てにたらい舟を漕いでいたお弁は、突然明かりが消えたので慌てました。広い海。どちらが番神岬なのか見当もつきません。藤吉を呼びながらやみくもに漕ぐうちに、突然大きな波をかぶって、たらい舟がひっくり返ってしまいました。
 翌朝、番神岬から遠く離れた青海川の砂浜に変わり果てたお弁が横たわっていました。
 藤吉は、自分の罪深さにおびえました。居ても立ってもいられない気持ちで、どこへともなく走り去って行きました。
 それから何年か経って、青海川の砂浜で藤吉によく似た坊さんが、長い間読経している姿を見た者があるそうです。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成26年2月号に掲載)