【随筆】−「サラスヴァティー」               浪   宏 友


 仏教寺院などに、多くの仏像が祀られています。釈迦牟尼世尊は歴史上の人物ですが、インドのガンダーラ地方で最初に造られた仏像が、釈迦牟尼世尊の像でした。
 仏像はおおむね四つに分類されています。如来、菩薩、明王、天部です。
 如来は悟りを開いた人です。真理の教えを説き、人びとを救う働きをしています。阿弥陀如来、薬師如来、大日如来などの像が数多く造られました。
 菩薩は、悟りを求めて修業している人で、如来の指導を受けながら人々を救います。観世音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩などはおなじみだと思います。
 明王は憤怒の相をしていますが、実は如来の化身です。迷いがあまりにも深い人、教えを優しく説いても受け入れようとしない人に対し、憤怒の姿で救おうとしています。不動明王、愛染明王、孔雀明王などがいます。
 天部の神々は、古代インドの宗教で信仰された神々です。現代のヒンドゥー教で信仰されている神々もいます。
 インドのもっとも古い文献は『リグ・ヴェーダ』で、紀元前1200年ころに成立したと考えられています。リグ・ヴェーダの宗教は多神教で、数々の神が登場します。
 紀元前400年頃、釈迦牟尼世尊によって仏教が始まります。釈迦牟尼世尊が入滅した後、仏教経典が編纂されますが、その中でリグ・ヴェーダの神々が活躍します。仏教経典が日本に伝わりますと、こうした神々も共に伝わり、天部と呼ばれるようになりました。
 天部の神々としては、仏教で特別な立場にある梵天、寅さんの「男はつらいよ」で有名な帝釈天、上杉謙信の守り本尊であった毘沙門天などが有名です。
 弁才天女は梵天の妻、吉祥天女は毘沙門天の妻です。帝釈天の妻のシャチーは日本ではほとんど活躍していません。
 米俵の上で小槌を片手に、にこやかに立っている大黒さま、寺院の門で睨みをきかせている仁王さま、子供の守護神の鬼子母神さまも天部の神です。
 リグ・ヴェーダに、河川の女神が登場します。インダス河の女神、ガンジス河の女神、ヤムナー河の女神などがいます。中でも民衆から慕われ讃えられたのがサラスヴァティー河の女神だそうです。
 インダス河、ガンジス河、ヤムナー河は現在も流れています。サラスヴァティー河は見当たりません。この河は砂漠の中に消えたと古い文献にあるそうです。
 古代インドではサラスヴァティー河はインド最大の河川で、人びとの心の故郷であったと語る学者もいます。
 サラスヴァティー女神は、言語の神ヴァーチェと同一視されて、学問、芸術、文芸の守護神になり、仏教にとり入れられて弁才天となったと上村勝彦さんが著作『インド神話』(東京書籍)で語っています。
 上村さんは、この本の中で、言葉の女神としてのサラスヴァティーにまつわる逸話を紹介しています。
 サラスヴァティー(弁才天)は、夫ブラフマー(梵天)との間に息子カーヴィヤを儲けました。カーヴィヤは、生まれるとすぐに母の前に進み、韻文で挨拶します。これを聞いたサラスヴァティーは、息子が韻文を発明したと言って歓喜します。
 宇宙を創造する神である梵天を父とし、言葉の女神である弁才天を母として、韻文という息子が生まれたという神話です。
 サラスヴァティーは音楽の女神でもあります。大河の流れがサラスヴァティー女神の奏でる音楽に聞こえ、音楽・芸術の神になったのだろうと思います。サラスヴァティーが、妙音天、美音天の名で登場する仏教経典があります。
 七福神の紅一点として、琵琶を抱えて宝船に乗っている弁天さまが妙音天です。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成26年5月号に掲載)