【随筆】−「宗像三女神」               浪   宏 友


 天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのをのみこと)は、姉と弟です。二人の母である伊邪那美命(いざなみのみこと)は、既に亡くなって黄泉の国に行ってしまいました。
 須佐之男命は、亡き母のいる国に行きたいと思い、姉に暇乞いをしようと地上から天に上って行きました。そのときすべての山や川が鳴動し、国土が激しく揺れ動きました。
 この様子に驚いた天照大御神は、弟が天を奪い取ろうとして攻めて来たにちがいないと思い、戦いの準備をして待ちかまえました。
 弟が姉に、敵対する気持ちはないと言いますと、姉は心が清らかなことをどのようにして知ればいいのかと問います。弟はお互いに誓いを立てて子を産みましょうと提案し、そうすることになりました。
 弟の剣を姉の天照大御神が受け取って三つに折り、これを浄めてから噛み砕き、息を吐き出すと三柱の女神が誕生しました。
 弟の須佐之男命は姉の髪や腕に巻いていた玉の緒を受け取り、これを噛み砕いて吐き出し、五柱の神が誕生しました。
 この結果を前にして弟は、自分が勝ったと言い張って暴れまわります。嫌気がさした姉が天の岩屋戸に隠れてしまいました。天照大御神が隠れてしまったために世の中が真っ暗になってしまい、困った神々が相談して一計を案じ、ようやく天照大御神を岩屋戸から連れ出しました。神々は須佐之男命を追放してしまいました。
 このとき須佐之男命の剣から生まれた三柱の女神は宗像(むなかた)三女神と呼ばれています。
 福岡にある宗像大社は宗像三女神を祭神としています。日本海に浮かぶ沖ノ島には田心姫(たごりひめ)、玄界灘の北端にある大島には湍津姫(たぎつひめ)、宗像市内の神社には市杵島姫(いちきしまひめ)が祀られています。海路の要所を守る、海上安全の守り神であると言われています。
 日本に仏教が公式に伝来したのは欽明天皇13年(552)とされています。百済の聖明王からの使者が、経典と仏像そして仏教流通の功徳を賞賛した文書をもたらしたと『日本書紀』にあります。
 その後、紆余曲折はありましたが、仏教は日本に広まり、天平勝宝4年(752)には聖武天皇が発願した東大寺の大仏の開眼法要が行なわれるまでになりました。
 本来の仏教は、他の宗教を否定したり排除したりすることがありません。このため、インドでも、中国でも、その土地の神々との交流が深まりました。
 日本でも、日本古来の神々と、仏教がもたらした如来、菩薩、明王そして天部の神々が入り混じり、神仏習合と言われる現象が起きました。神仏習合にはいろいろな形がありますが、そのひとつとして、仏教がもたらした神仏と、日本古来の神さまは、同じ神さまであると考えることが行われました。
 天照大神は大日如来であるとされました。同じ太陽神とみなされたのでしょう。
 大国主命と、インドのシヴァ神の化身であるマハーカーラ(大黒)が習合して大黒天になったのは、「大国(だいこく)」と「大黒(だいこく)」が結びついたのでしょう。
 八幡神は阿弥陀如来であるといわれながら八幡如来ではなくて八幡大菩薩と呼ばれているのは面白い現象です。
 こうした流れの中で、宗像三女神の市杵島姫と弁才天女が習合したようです。双方とも美女であり、水に関係が深い神であることから、自然に結びついたのでありましょう。
 市杵島姫と弁才(財)天を同じ神さまとしたり、隣合わせに祀っている神社仏閣を各地に見ることができます。
 神奈川県藤沢市江の島に江島神社があります。祭神は宗像三女神ですが、ここにも弁天さまが祀られています。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成26年6月号に掲載)