【随筆】−「弁財天像」               浪   宏 友


 弁才天のルーツは、古代インド神話に出てくるサラスヴァティー女神です。当時のインドを流れていたサラスヴァティー河を、神格化した女神といわれます。この大河は砂漠の中に消えたそうです。
 サラスヴァティー女神は水と豊穣の神ですが、言葉の女神ヴァーチュと同一視されて学問・芸術・文芸の神となりました。また、音楽の神ともされています。
 インドにおけるサラスヴァティー女神像は四臂です。二臂でヴィーナという大きな弦楽器を奏でています。他の臂は数珠(じゅず)とヴェーダ(聖典)を持っています。
 サラスヴァティー像と言われる古い時代の像に、ヴィーナと思われる楽器を抱えている二臂の立像がありました。
 サラスヴァティー女神は仏教に取り入れられ、日本に伝わってきました。『金光明最勝王経』に大辯才天女として登場するのが最初かもしれません。「辯才天」は、現在は「弁才天」と書かれています。
 『金光明最勝王経』に基づく弁才天の像は八臂です。弓・矢・刀・矛(ほこ)・斧・長杵(ちょうしょ)・鉄輪(てつりん)・羂索(けんさく)を持つとされます。弁才天女は経典では弁舌の神となっていますが、それにしては多くの武具を持つ物々しい姿です。
 仏教の守護神は、仏陀・教え・修行者を魔から守る神々です。魔とは、正しい道を歩もうとするとき邪魔しようとするものです。
 自分の外から来る魔を「身外(しんがい)の魔」と言います。外部から来る圧力や誘惑です。仏教の守護神が身につけている甲冑は身外の魔に対して、耐え忍ぶ意味があると考えられます。
 内側から自分を誤った道に入れようとする魔が「身内(しんない)の魔」です。自分の正しい心をかき乱す本能的な衝動や欲望や怒りなどです。
 守護神が持っている武具は、身内の魔と闘うためのものです。煩悩を断ち切る、あるいは動けなくする。邪悪な心を打ち破る。迷う心を導く。そのようにして、自分に打ち勝とうとするのであると考えられます。
 弁才天女の持つ武具にも、そういう意味があるのだと思います。
 日本で作られた偽経の中に、弁才天と宇賀神の習合を説いた弁才天五経があります。この経に基づいて造られた像も八臂です。
 この場合、持ち物が一部変化します。弓・矢・刀・矛・鉄輪は同じですが、斧・長杵・羂索が、棒・宝珠・鍵に変わっています。
 弁才天五経における弁才天は、財福の神となっています。ここから、辯才天(弁才天)が、辨財天(弁財天)に変わりました。この変化は、人びとの求めるものが何であるかを如実に物語っているのかもしれません。
 弁財天の像には大きな特徴があります。弁財天の頭頂に華表(かひょう、鳥居)が建てられ、その奥に、人頭蛇身の宇賀神が祀ってあるのです。この形式の像は、宇賀弁財天と呼ばれています。
 密教の経典に『大日経』があり、妙音天が登場します。大日経をもとにして描かれた胎蔵界曼荼羅に、二臂で琵琶を奏する神が描かれています。妙音天です。人びとはこれを弁才天と同一視し、妙音弁才天と呼ぶようになりました。こちらも現代では妙音弁財天と表記するようです。七福神の弁天さまは妙音弁財天です。楽器の琵琶が弁財天の象徴になっているのは、琵琶を抱える妙音弁財天の姿が人びとの心に染みこんでいるからでしょう。
 妙音弁財天のなかに、裸弁天と言われる像があります。裸形の像を作り、これに着物を着せかけるのです。江の島の江島神社の裸弁天のほか、いくつかの作例があります。
 現代の日本で見られる弁財天像は、宇賀弁財天像か、妙音弁財天像です。『金光明最勝王経』に基づく弁才天像に出会うのは、かなり難しいようです。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成26年9月号に掲載)