【随筆】−「竹生島」               浪   宏 友


 奥琵琶湖にある竹生島(ちくぶしま)は、長さ800メートルあまり、幅300メートルあまり、周囲2キロメートルあまりの、横から見ると瓢箪のような形をした島です。この島の誕生を物語る言い伝えがいくつかありますが、なかのひとつをご紹介します。
 琵琶湖の東岸、滋賀県と岐阜県の県境あたりに伊吹山(いぶきやま)があります。その北方に金糞岳(かなくそだけ)があります。金糞(かなくそ)とは、鉱石から金属を精錬したあとに残る残滓(ざんし)で、スラグとも言います。この山で何らかの鉱石を掘り出して精錬し、その残滓が積み上がっていたのかもしれません。
 夷服岳(いぶきのたけ、現在の伊吹山)の神(男神)と浅井岳(あさいだけ、現在の金糞岳)の神(女神)が、自分たちの山のどちらが高いかで言い争いが始まりました。双方とも一歩も引きません。そこで実際に比べてみますと、浅井岳のほうが少しだけ高かったのです。これが悔しくてならない夷服岳の神は、刀を抜いて、浅井岳の頭をスパッと切り落としてしまいました。
 現在の日本地図を広げてみますと、確かに伊吹山(夷服岳)のほうが金糞岳(浅井岳)よりも少し高いようです。
 切り落とされた浅井岳の頭はごろごろと転がって琵琶湖に落ち、竹生島になりました。ということは、竹生島は浅井岳の女神にほかならないわけです。
 この島に、竹生島神社があります。都久夫須麻(つくぶすま)神社が正式の名前だそうです。ここに、浅井姫命(あさいひめのみこと)が祀られています。
 ここにはさらに、三柱の神が祀られています。龍神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇賀神(うがじん)です。市杵島姫命は弁財天であるとされています。
 ここに宝厳寺があります。聖武天皇(在位724〜749)の夢枕に立った天照皇大神から「竹生島は弁財天の聖地である。ここに寺院を建立せよ」とのお告げがあったので、行基という僧侶を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが宝厳寺の始まりであると言われています。
 行基は弁財天像を造り、ご本尊として安置しました。これらの寺社は天皇をはじめ多くの為政者によって保護されてきたそうです。
 こうした背景の中から生まれたと思われる「竹生島」という能があります。
 醍醐天皇(在位897〜930)の臣下が弁財天を詣でようと琵琶湖にやって来ます。しかし、竹生島に渡ることができません。
 丁度そのとき、老いた漁師と若い女が小舟で漁をしながら、語りあっています。
 臣下は、漁師に声をかけ、竹生島に参詣したいので、連れて行ってくれと頼みます。漁師は始めは断っていたのですが、熱意に負けて臣下を小舟に乗せます。
 竹生島に着きますと、老人が臣下を社に案内しますが、若い女もついてきます。
 いぶかしく思った臣下が、ここは女人禁制ではないのかと問いかけます。
 老人は、悟りを開いた如来が弁財天としてここに現われたのです。広大無辺な慈悲を持つ如来がそんな分け隔てをするはずがありませんと返します。
 若い女も、まして弁財天は女性ですから、女性を隔てたりはいたしませんと言います。
 そして若い女はあたかも自分の家でもあるかのように社殿に入ります。すると老人も湖に入り、私はこの湖の主であると言い置いて波間に消えていきます。実は漁師は龍神、若い女は弁財天だったのです。
 驚いている臣下の前に、社殿の奥から光り輝く弁財天が現われて、春の月明かりの中で美しく舞います。次いで、湖上に龍神が現われて厳かに舞い、最後に大蛇の姿となって、波間に消えていきました。竹生島にまつわる神秘的な伝説です。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成26年10月号に掲載)