【随筆】−「弁天さま伝説」               浪   宏 友


 弁天さまにまつわる民話は数多くありますが、中には弁天さまと直接の関係がなさそうな話なのに、弁天さまに結び付けられているものも少なくありません。
 姫路市の坊勢島(ぼうぜじま)奈座港にある岩礁が弁天島と呼ばれ、エピソードが語り継がれています。
 昔、荒々しい漁師がいて、漁の掟を破ってばかりいました。漁師には父に似合わぬ心優しい娘がいました。
 その日、漁師は娘と共に漁に出ました。珍しいほどの大漁で、二人は大喜びで港に向かいました。ところが、途中で激しい嵐に見舞われたのです。娘は嵐が尋常でないことを悟り、父に言いました。「父ちゃん、魚を海に返そう、龍神さんが怒っているよ」しかし漁師は聞き入れません。船が転覆寸前になったとき、娘は「龍神さん、私が身代わりになります、父ちゃんを助けて」と叫びながら海に身を投じました。嵐はおさまり、荒立つ水煙がみるみるひとつの岩礁になりました。
 人々は、娘が弁天さまのようだと言い、この岩礁を弁天島と呼ぶようになりました。
 この説話には、弁天さまは登場していません。それでもここに、弁財天が祀られています。人々の心の中で、弁天さまと娘とが習合したのだと思います。
 鳥取県道265号線の鳥取砂丘入口の近くに「辨天宮」の額が架かった大きな鳥居が見えます。この先の多鯰ヶ池にお種弁天宮があります。ここにも伝説がありました。
 昔、この地方に長者がいて、お種という若い女中がはたらいていました。
 長者の家で働く若い男たちは、一日の仕事が終わると、台所わきの土間に集まってよもやま話に花を咲かせました。
 その夜もよもやま話に大笑いをしていましたが、誰かが腹が減ったなあと言いました。すると次々に俺も腹が減った、俺も腹が減ったと声がしました。するとお種が外に出て、しばらくすると柿を一抱えして帰ってきました。男たちは喜んでうまいうまいと食べました。こんなことが何度かあり、男たちは不思議がりました。この家にも近所にも、それらしい柿の木はなかったからです。
 ある夜、お種が出かけた時、数人の若い男たちが後をつけました。お種は少し離れた池の淵まで行くと、着物を脱ぎ、池に入り、泳ぎ始めました。ところが、なんと泳いでいるのは大きな白い蛇だったのです。蛇は池の中ほどにある小さな島に上がると、そこにある柿の木に登り、柿の実を池に落とし始めたのです。あまりのことに、ひとりの男が悲鳴を上げて逃げ出し、ほかの男たちも後を追うように逃げました。お種はそれっきり帰ってきませんでした。
 長者の家には、長く働いている老婆がいてお種に何かと気遣いをしていました。老婆は池のほとりに祠を建ててお種を偲びました。人々はいつしかこの祠をお種弁天と呼ぶようになりました。多鯰ヶ池のお種弁天宮として今に伝えられています。
 ここにも弁天さまは登場しないのですが、お種が白い蛇であったことと合わせて、弁天さまと習合したようです。
 富士五湖のひとつ河口湖の中央に、鵜の島があり、弁財天が祀られています。
 ここに豊玉姫の説話が伝わっています。豊玉姫といえば古事記の海幸彦・山幸彦の物語に出てくる竜宮の王の娘です。この地では、山幸彦と豊玉姫の恋物語が、ほかの民話とも入り混じって語り継がれ、いつしか豊玉姫と弁財天が習合したようです。
 弁財天と市杵島姫命の習合は数多くみられますが、豊玉姫との習合は珍しいと思いました。市杵島姫命も、豊玉姫も、水に深い関わりをもつ女神ですので、弁財天と習合しやすいのかもしれません。
 弁天さまは、さまざまに姿を変えながら、人びとの中に伝わっていくようです。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成27年1月号に掲載)