【随筆】−「雪形」               浪   宏 友


 イギリス人鉱山技師のウィリアム・ゴーランドが飛騨山脈を調査したとき、そこから見える山脈をヨーロッパのアルプス山脈に因んで日本アルプスと紹介しました。後に小島烏水が飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスとしました。
 北アルプスに白馬岳があります。「白馬」を「しろうま」と呼ぶ人と「はくば」と呼ぶ人がいます。どっちが正式の読みかたなのでしょうか。
 現代の私たちは、正確で内容豊富なカレンダーを当たり前のように使っています。詳しい農業カレンダーも発表されています。
 カレンダーがそれほど発達していなかった時代には、自然界が農業カレンダーの役割を果たしていました。自然界の動きを見ながら、その時期の農作業を行っていたのです。カレンダーの役割をする自然現象のひとつに雪形がありました。
 真冬には山全体が雪で白一色になっています。春になり温かになりますと、雪が解け始めます。山は地形が複雑ですから、雪がすぐに無くなる場所もあれば、いつまでも残る場所もあります。
 遠目に見ますと、雪が早く溶けるところは地面が現われますから黒くなり、雪がいつまでも残るところは白いままです。すると、白地に黒い図形が現われたり、黒地に白い図形が現われたりします。山の地形はあまり変わりませんから、毎年同じ時期に、同じ図形が現われます。こうした図形は偶然の産物なのですが、人びとはこれらを何らかの形に見立てて名前を付けました。これが雪形です。雪形は、冬から春への移り変わりを教えてくれる指標になっています。
 雪国では、この雪形を農事暦として使うことがありました。特に稲作の田起こし、代掻き、苗代の種もみ蒔きなどの目安には丁度良かったようです。
 雪形には名前が付けられています。農事暦として使われていたために、その名称も農業に関係するものが多くなるのは自然の成り行きでしょう。「種まき爺さん」「田植え男」「代掻き馬」などがよく聞く名前です。身近な動物に見立てた「雪うさぎ」「しらさぎ」などもありました。
 雪形という呼び方は、田淵行男著『山の紋章 雪形』(学習研究社、昭和56年)から始まっているそうです。
 白馬岳の話に戻ります。
 白馬岳にも毎年春になると現われる雪形があります。白地に黒く、馬が後ろ足で飛び跳ねたような形に見えます。この馬が見え始めるとそろそろ代掻きだというので、代掻き馬(しろかきうま)と呼ばれるようになりました。これが代馬(しろうま)となり、山の呼び名も「しろうまだけ」となりました。いつしか「しろうま」に「白馬」の文字が当てられました。するとこれを「はくば」と呼ぶ人が現われました。
 こうした成り行きから「しろうまだけ」と「はくばたけ」が混在するようになりました。時代とともに、「はくば」に固まりつつあるようです。
 私は毎日ウォーキングをしています。長野市は四囲を山々に囲まれていますが、北方に飯縄山が重々しい姿を見せています。
 ある日、たまたま見ていたテレビ番組で、長野で農業を営む方が「昔は飯縄山の種まきじじいを見て農作業を始めたものだ」と言っているのを聞きました。えっ、そうなのかとウォーキングの際に撮影した写真を調べましたら、ありました。春先の飯縄山にくっきりと種まき爺さんの雪形が黒く描かれています。
 長野市から40キロメートルほど離れた北アルプスの五竜岳に、武田菱(武田信玄の家紋)の雪形が見えるというので探しましたら、見つけることができました。
 山肌に浮かび上がる雪形は、わけもなく私の郷愁を誘ってくれます。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成27年4月号に掲載)