【随筆】−「自然暦」               浪   宏 友


 長野県の野尻湖に、ナウマンゾウ博物館があります。4万年ほど前の旧石器時代、このあたりで暮らしていた人々は、ナウマンゾウやオオツノシカなど野生の動物の狩猟をしていたと考えられています。また、この人たちは、ドングリ、クルミ、クリなどの木の実を採集して食料としていた形跡があります。
 人類には、自然界を相手に、狩猟、漁労、採集で生活を営んでいる時期がありました。この頃の人々は、いつごろ、どこに行けば、何が手に入るかを知りたかったことでしょう。  やがて、稲、麦をはじめとする農耕が始まりますと、種まきの時期が重要になります。早すぎてもいけません、遅すぎてもいけません。豊かな収穫のために、もっとも適した時期に種をまきたかったに違いありません。
 野生の草木や動物たちの生態は、人々が季節を知るために大いに役立ったことでしょう。
 現代に生きる私なども、身の回りの自然界に季節を教えてもらっています。道端にオオイヌノフグリの花を見て、春が近いなあと思います。草むらに明るく咲く菜花に春の盛りを知ります。カワラナデシコが咲き始めると夏の到来を感じます。もちろん、梅、桃、桜などの花々が春の訪れを教えてくれます。
 季節によって姿を現わしたり、いなくなったりする鳥たちがいます。私の周囲でも、春になるとツバメが現われ、秋も深まった頃には一羽も見なくなります。真冬にはツグミが草むらで餌を探しています。
 こうした、季節を教えてくれる自然現象を目安として、人々は、狩猟採集の時期や農作業のタイミングを判断していたのだろうと思います。自然界を暦代わりに使うので、自然暦と名づけているようです。
 季節を教えてくれる自然暦の一つは、太陽だったかもしれません。日の出、日の入りの場所は季節によって変わります。夕日があの山の頂にかかり始めたからそろそろ種まきの準備をしようなどと、季節を測ったのではないでしょうか。特に冬至や夏至は分かりやすかったでしょうから、太陽のひとめぐりの目安になっただろうと想像できます。
 月のほうは、季節を知る自然暦にはならなかったでしょう。季節とは関係なしに、大きくなったり小さくなったりするからです。
 ある日、太陽が沈んだ後に三日月が見えてすぐに沈みます。その日から、だんだん大きくなります。夕刻、南の空に半円の月が見えるようになります。上弦の月です。ほどなく満月となり、下弦の月を経てだんだん細くなり、ついに見えなくなります。次の日の夕方、また太陽が沈んだ後に三日月が見えてすぐ沈みます。この間29日か30日です。
 月のこのサイクルは、日数を数えるには便利だったにちがいありません。そんな中で、人々は重大なことに気づきました。月の満ち欠けのサイクルが12回繰り返すと、同じ季節が巡ってくるのです。こうして月のサイクルを基準にした暦ができました。太陰暦です。
 ところが問題がありました。太陽のひとめぐりは365日です。これに対して月の12サイクルは354日で、11日の差があります。季節の循環は太陽の巡りに従います。農作業は太陽の巡りに合わせなければなりません。そうなると11日の差をなんとかしなければなりません。こうして、月のサイクルと太陽のめぐりの11日の差を補正した暦ができました。太陰太陽暦です。
 太陽のめぐりを基準にした暦が太陽暦で、現代は太陽暦が使われています。
 報道によれば、2013年、スコットランドのアバディーンシャーの遺跡で12個の横にならんだ大きな穴の列が見つかりました。写真を見ると、山肌に12個の大小の穴が見えます。これは一万年前に作られた太陰太陽暦なのだそうです。狩猟採集生活の時代にこれほど大規模な暦が作られ、しかも数千年に渡って使われていたらしいというのですから、本当に驚いてしまいました。(浪)

 出典:清飲検協会報(平成27年5月号に掲載)